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東京地方裁判所 昭和32年(ワ)3237号 判決 1960年10月08日

原告 学校法人 八坂女紅場学園

被告 国

訴訟代理人 武藤英一 外五名

主文

被告は原告に対し二七九、八七〇、四八一円及びこれに対する昭和二九年三月一日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを四分し、その一を原告の、その余を被告の各負担とする。

事実

第一、当事者の求める裁判

一、原告の請求の趣旨

被告は原告に対し三九三、七一九、六八八円並びに内金三五八、九一三、三三九円に対する昭和二九年三月一日から及び内金三四、八〇六、三四九円に対する昭和三四年一一月二二日から各完済まで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

との判決及び仮執行の宣言を求める。

二、被告の申立

原告の請求を棄却する。

との判決を求める。

第二、請求の原因

緒言

本件は祗園が昭和二〇年九月末頃京都府知事の説得を承諾して自己の所有にかゝる土地建物等を進駐軍専用の娯楽施設に充てるため提供したことによる損害の補償を求めるものである。

第一章  祗園

京都の祗園はその起源古く格式の高い遊里である。但し、こゝに祗園とは祗園甲部を指し所謂遊里を成す祗園乙部を除く。数十年来お茶屋業者の数は一五〇ないし一八〇芸妓の数は三、四百であつて大きい変動はない。

一、組合と法人

祗園のお茶屋業者が組織する団体は明治時代以降組合と法人の二個であつて業者共通の事項はこの二個の団体によつて処理される。

1 組合

明治以来祗園新地甲部貸座敷組合と称したが、昭和二一年祗園新地甲部席貸待合業組合と改名し、昭和二四年祗園新地甲部組合と改名した。祗園の業者全部を組合員とし人格のない任意組合であるが芸妓招聘の取次、業者と芸妓間における営業収入金の分配、組合員の税務を始め業者の営業につき共通の利害ある重要事項を処理し祗園の中心的機関である。但し法人格がないから固有の財産を有することなく、財産はすべて左記の法人に帰属する建前である。決議機関として組合会議及び常議員会を置き執行機関として選挙により選出される取締及び副取締を置く。取締は組合万般の事務を統理し組合を代表し、副取締は取締を補佐し取締事故あるときはこれを代行する。本件の問題を生じた昭和二〇年当時取締は杉浦治郎右衛門、副取締は中島勝蔵であつた。

2 財団法人

祗園においては古くより業者の子女及び芸妓につき修身国語の外生け花舞踊等業務上必要な技芸を修得させるため学校様式による教育を施しているのであつて、この目的(寄附行為の用語に従えば祗園甲部の婦女子及び祗園甲部芸妓の生活に必要な学芸を授け自立の職業を得しめること)のため明治三五年内務大臣の許可を得て民法による京都八坂女紅場財団法人(昭和二二年財団法人京都八坂女紅場と改称)が設立せられ、学級式による教育を実施して来たが、昭和九年京都府知事の認可により右財団法人は正式に私立学校令による学校として京都八坂女紅場(昭和二〇年京都八坂技芸実践女学校、昭和二二年京都八坂女子技芸専修学校と改称)を設立した。右財団法人は決議機関として議員会議(総会とも称する、議員は業者より選挙によつて選出される)を置き、執行機関として議員会議より選出される五名の理事を置いた。理事の互選によつて理事長一名を定め法人を代表し事務を総理せしめる。又学校には校長及び教員を置き嘱託教師講師が置かれた。昭和二〇年当時理事長は杉浦治郎右衛門であつた。財団法人は右教育の外昭和二三年医療法人より東山病院を買収し業者芸技等の治病のため病院を経営した。この財団法人は次に述べる学校法人に改組するため昭和二六年六月解散し清算に入つた。

3 学校法人

昭和二五年私立学校法が施行されるや京都府学務課より祗園に対し「財団法人京都八坂女紅場の行つていることはそのまゝ私立学校法による学校法人の行うべきことであるから財団法人を学校法人に改組したらどうか、学校法人にすればその目的に使用する土地建物等の財産は免税になる」との勧誘を受けたので祗園では検討の末改組することになり府学務課の指導により改組を実行した。

祗園ではまず昭和二六年六月一〇日理事会を開き当時の理事三名出席し財団法人京都八坂女紅場を学校法人八坂女紅場学園に組織がえすること及び組織変更に伴い財団法人の全財産(負債をも含む、甲第五号証三学校法人設立趣意書の四資産中に未払金と表示したのは負債を意味する)を新設学校法人の基本財産及び運用財産として寄附することを決議し(甲第五号証の六)、学校法人の寄附行為を作成し(甲第五号証の四)、昭和二六年七月一〇日京都府知事に対し寄附行為の認可申請をし、同月二七日認可を得て同月三一日設立の登記(甲第六号証)をした。そして既に解散して清算中の財団法人より学校法人は一切の財産及び事業をそのまゝ引ついだ。学校法人の設立に当り学校法人に寄附される財産は、法人成立の時より法人の財産を組成するのであり(私立学校法第三四条、民法第四二条第一項)、学校法人は設立の登記をすることによつて成立する(私立学校法第三三条)。本件において財団法人は右理事会の決議により同年七月一〇日その全財産を設立手続中の学校法人に寄附し(甲第五号証の七)たので、財団法人の全財産は学校法人設立の日たる同年七月三一日学校法人の財産となつたのである。なお学校法人が財団法人より引ついだ京都八坂女子技芸専修学校(私立学校法第六四条の私立各種学校)は昭和二七年祗園女子専門学校と改称され、東山病院は昭和二九年他に売却し目的たる事業から削除された(甲第六号証)。

4 財団法人と学校法人との関係

両法人の関係は右に述べた如く単なる改組改名であつて実体は同一である。即ち甲第五号証の四ないし第六号証によつて明らかなように両法人の事務所所在地、目的たる事業、財団法人の最後の理事理事長と学校法人の当初の理事理事長は皆同一であり、財団法人より学校法人への全財産の寄附によつて学校法人の設立当時は財産も同一である。関係者世人は皆両法人の関係を単なる改名に過ぎないと考えている。

5 組合と法人との関係

組合と法人との関係は一心同体で代表者も大体同一人である。それでよくこの両者は理事者と雖も混同する。そして習慣上社会的活動は組合の名を用いることが多い。対外活動は多く組合の名で行うため契約陳情等も組合の名を用いたことが多いがその実は法人の行為と見るべき場合が多く、かゝる場合は法人と称すべきを組合と称した誤りである。又組合と法人両者を表示すべきに組合とのみ表示した場合も多く、これはやはり単に表示を誤つただけであるから両者の行為として有効である。法人所有の建物等の財産も組合は自由にこれを使用するのであり、組合のすることは法人で一切これを承認するのである。

二、歌舞練場(広義)

右一に述べた祗園の組合及び法人がその事業(東山病院を除く)のため使用する不動産は別紙第一目録記載四〇七四坪余の宅地とこの地上に建設された別紙第二ないし第四目録記載延坪合計三三二〇坪の建物であり、高塀に囲まれた門構えのこの一画の土地建物を総称して祗園の歌舞練場という。

1 土地(別紙第一目録の宅地四〇七四坪余)

右土地は京都府の所有であつたところ明治四五年六月一〇日京都八坂女紅場財団法人が京都府より払下を受けて所有権を取得し、同月一四日その移転登記をした。昭和二六年七月財団法人京都八坂女紅場はこれを学校法人八坂女紅場学園に寄附し同年九月その所有権移転登記がなされた。

2 歌舞練場(狭義)(別紙第二目録の建物、延坪八四四坪余)

京都八坂女紅場財団法人(即ち学校)の芸能練習場及び都おどり会場として大正三年建築せられ、同年二月右財団法人の所有として保存登記がなされ、その後数次に相当の模様替が行われた。昭和二六年七月財団法人京都八坂女紅場はこれを学校法人八坂女紅場学園に寄附し同年九月その所有権移転登記がなされた。歌舞練場は広義ではこの一画の土地建物全部を指すが狭義ではこの建物だけを指す。

藤原末期から鎌倉初期の純日本式手法による大建築(甲第五三号証四項)で多数の小教場(畳敷或は板敷)休憩室と大講堂(舞台と観客席)より成る。大講堂では儀式の外温習会公演会を行い殊に明治以来毎年春期に三〇日ないし四〇日公演される都おどりは京都名物として海外にまで有名でその収入は祗園の主要な財源である。玄関(大玄関という)廊下大講堂等の天井は有名な桝形の格天井(ゴウテンジョウ)でその杉柾の桝目には著名の画家が色彩画を描き貴重な美術品であつた。襖その他の調度も高級なもので数百の来客観客休憩用高級椅子机が備えられ、都おどり会場に相応しく建設された講堂の舞台及び観客席は優雅と絢爛を誇つて日本一と称され、ドイツ製の豪華な大グランドピアノ二台が置かれてあつた。

太平洋戦争が激化し昭和一九年半頃より京都八坂技芸実践女学校は授業を中止したので歌舞練場も使用されなくなつた。

3 八坂クラブ(別紙第三目録の建物、延坪四六三坪)

大正天皇御即位の饗宴場として御使用を頂くため、京都八坂女紅場財団法人が大正五年建築し同年五月同法人の所有として保存登記がなされた。昭和二六年七月財団法人八坂女紅場学園に寄附されたがその所有権移転登記はまだなされていない。

多数の室や小講堂(小劇場)に分れ饗宴場として使用した後は一部を財団法人の事務所に大部分は学校の教場演習場に使用していた。八坂クラブの内第三目録の最後に記載してある木造瓦葺平家建居宅建坪三八坪の部分は本屋と離れ茶席と称し学校の生徒に茶の湯の授業をするのに使用された。

4 弥栄会館(別紙第四目録の建物、延坪二〇一二坪余)

最初から劇場とするため京都八坂女紅場財団法人が昭和一九年建築し同年九月自己の名義に保存登記したものである。昭和二六年七月財団法人より学校法人に寄附されたが所有権移転登記はまだなされていない。昭和二〇年当時はその一部を組合の事務所に使用していたのみである。

5 門及び土塀二八五間八五(甲第五号証の七財産目録一の(ハ))

大正三年歌舞練場と同時に構築されたものである。

第二章  終戦直後の調達

甲第三八号証昭和三一年三月二五日調達庁総務部調査課発行「占領軍調達史」を「調達史」と略称して引用し、昭和二八年二月一日調達庁総務部紛議処理課園田事務官編「クレームの理論と実際」を「クレーム」と略称して引用する。

一、調達の性質

1 日本の間接管理

日本占領について占領軍が直接に占領行政を行う直接管理方式をとらず占領軍が日本政府に対し所要の指令を発し、日本政府がこれに基づき国内法に従つて統治を行う間接管理方式がとられたことは著名な事実であつて、これは既に一九四五(昭和二〇)年九月六日米大統領よりマッカーサー元帥への通達の第二項に「日本の管理は日本政府を通じて行われる。しかしこのことは必要があれば直接に行動する貴官の権利を妨げるものではない」と明記せられている(調達史二九、三〇頁)。

2 調達と徴発、間接調達

調達は右の間接管理様式に即応し、今次の日本占領において史上始めて採用された占領軍の物資役務の取得方法であつて徴発と異る。

調達の基本を定めた一般条項は一九四五(昭和二〇)年九月三日の日本政府宛指令第二号で日本政府に対し占領軍の要求する一切の物資を提供すべきことを命じたものである(調達史七四-七六頁)。従つて調達に関する限り日本政府は国内法によつて適法に行為すべきであり、占領軍の行為から生じた一切の責任は法律上全面的に国に帰属する。この責任を追及するにつき被害者が行政手続によるか訴訟手続によるか或はこの二者を併用するかはその任意である(クレーム九頁)。

徴発は占領軍が直接個人に対し或は地方自治体を使役して強権力により人民より物資役務を取得する公法関係である。調達は日本政府が国内法に基づいて人民との自由契約により物資役務を得てこれを軍に提供するものであり、占領軍と日本政府との間では徴発的色彩を有するが日本政府と被調達者との間では売買賃貸借等民法上の契約である。徴発は昭和二〇年九月一五日付占領軍内部指令によつて禁止され調達のみが許されたのである(調達史六八-七一頁、七七〇頁)。

調達の実施は原則として国が直轄して履行するものでなく国がその責任において、被調達者と請負その他の契約をし被調達者をして占領軍の監督下に契約を履行せしめることによつて間接的に調達要求を充足する方法即ち間接調達を常道とする(クレーム一〇頁、二四頁)。

日本政府が人民との自由契約による調達のみでは要求物資を取得し得ないことを考えこの場合に政府が強権を以てこれを取得し得るようにしたのが、昭和二〇年一一月一七日のポツダム勅令六三五号要求物資使用収用令及び六三六号土地工作物使用令で、これにより政府は占領軍の要求を充足するため必要あるときは強権(罰則)により要求物資を使用収用し、或は土地工作物(建物を含む)を政府に引渡さしめて使用し得ることとなつた(但しこれに対しては日本政府が損失を補償する)。これは日本政府のいわば徴発である。しかし本件におけるが如くこの両勅令発布以前においては日本政府は自由契約による調達の外なかつたのである。

3 調達と補償

徴発及び調達は人民に必ず対価を支払う点においては同一であつて無償の徴発或は調達というものは国際法上或は国内法上存しない。一九四五年九月二五日スキャップインA七七日本における調達に関する件は日本の国内法としての効力ありと思料されるのであるが、その五項は「日本政府は占領軍の用に供せる物品サービスおよび施設を日本政府に提供した者に対し迅速に支払を行うべし」と命じている。(調達史六二頁)

4 調達の文書

占領の初期においては口頭の調達が主であつたが占領軍は追々P・D及びP・Rの文書を発給するようになつた。軍が調達につき日本政府に対しP・D(Prscurement Demand)即ち調達要求書を発し、調達の充足された際受領将校より供給者に対しP・R(Procurement Receipt )即ち調達受領書が署名の上交付される手続が段々行われ出したのは昭和二〇年一〇月中旬以後のことである(調達史六一頁)。

そして補償の請求に対し軍は原則としてこのP・DとP・Rのあることを以てこれを許す条件とし、この文書のないものは原則として(例外は認めるが軍の許可を要する)補償しないよう日本政府に命令していたのであつて、昭和二七年六月講和条約発効に伴い始めて補償にP・D及びP・Rを要するという原則がなくなつたのである(クレーム三六五頁)。本件もこのP・Dがなかつたために補償措置がのびのびになつてしまつたものである。

二、調達に関係する官庁

1 終戦連絡事務局と終戦連絡委員会

「降服条項実施のため連合軍の要求事項を受理する権限」を有する全権河辺虎四郎中将が昭和二〇年八月二一日マニラより携行して帰つた連合軍要求書第三号の七項「日本政府は占領期間中占領軍により要求せらるべき地域及び諸便宜を供与すべき機能を有する中央機関及びこの機関の支部を設置すべし」との命令に基き(調達史六頁以下)同月二六日勅令第四九六号を以て占領軍との連絡に関する事務を掌るため終戦連絡事務局官制が公布せられ官制上終戦連絡中央事務局と同地方事務局が設けられた。昭和二〇年九月三日指令第二号第四部二にもやはり同様の連絡機関を設置すべしとの日本政府に対する指令がある(調達史七五頁)。

中央事務局長官岡崎勝男は右官制直後に任命されたが、地方事務局はまだ暫く開設されず九月下旬以後になつて各地に設けられるようになつた(調達史一〇二頁)。

一方内閣は九月始頃より各地に地方長官や各省及び軍の出先の長をメンバーとする終戦連絡委員会を設け占領軍の受入準備を実行させたのである(調達史九七-一〇〇頁)。但しこの委員会は官制等の法的裏付のない行政措置として設けられたものである。

2 地方長官

調達につき各地方における軍との連絡は主として前記連絡委員会(後には連絡事務局)が扱うが調達の実施は地方長官を中心として行われたのである(調達史九七頁)。

国内法上特別調達庁が昭和二二年九月業務を開始するまでは地方長官が委任支出官となつて調達の責任者であり経費は日本銀行仮勘定をもつて支弁された。このため各府県庁では昭和二〇年九月始より渉外課を設け知事を部長とする進駐軍受入態勢実施本部を作つて、これが準備をした。昭和二〇年九月下旬になつて各地に終戦連絡地方事務局が設置されることとなつたが、これに伴い九月一九日内務次官より地方長官に宛て「地方における終戦事務に関する件」なる通牒を発し、「終戦事務中渉外事項については外務部内派遣官これに当るべきも設営その他行政事項については終戦連絡地方事務局設置の如何に拘らず、地方長官が中心となり関係各庁の協力を得てこれが実施に任ぜられ度云々」といつている(調達史一〇二、一〇三頁)。もつて地方長官が当時調達その他の終戦事務につき国の責任者であつたことを窺い得る。

三、京都における終戦直後の調達

1 調達官庁

京都に入るべき第六軍の受入に当るべく昭和二〇年九月始頃内閣より京都終戦連絡委員長を命ぜられた(調達史四八頁)公使中村豊一(同年一一月に東京外務省に転任)は外務大臣より「すべてのことは一任するからとにかく占領軍と摩擦や事故を起さぬようにやつてくれ」と軍の受入調達につき全権を委任され、又費用として日銀仮勘定にて数百万円の予備金を支出されることになつて各省より出向した約三〇名の部下と共に九月七日京都に到着し直ちに京都府庁内に事務所を置き、地方長官及び各省や軍の出先の長をメンバーとする終戦連絡京都委員会を設けた(調達史四八頁)。

調達実施の責任者であり連絡委員会の最有力メンバーである京都府(府知事は三好重夫、昭和二〇年一〇月内閣副書記官長に転任)では他の府県と同様渉外課を設け知事を本部長とする進駐軍受入実行本部を置き連絡委員会と一体となつて受入を準備し実行した。

その後九月二二日になつて京都にも終戦連絡地方事務局が設けられ(調達史一〇二頁)連絡委員会の機構を引つぎ連絡委員長中村豊一が局長に任命されたが、仕事の方は事務局の名を用いず依然として委員会の名をもつて行つた。委員会の方が各省を網羅していて都合がよかつたからである。事務局の名をもつて活動するに至つたのは昭和二一年になつてからである。

2 占領軍の進入

京都には中部地方以西全土を占領する米第六軍の司令部が置かれることとなつた。九月一四、五日頃から先遣将校先遣部隊が逐次京都に到着し、九月二五日司令部が市内大建ビルに置かれ(調達史一九頁)、和歌山に上陸した航空機戦車を伴う部隊数万が一〇月五、六日頃京都に入り、一〇月一〇日司令官クルーガー大将が到着した。もつとも第六軍はアメリカの政策変更により同年一二月三一日廃止され以後は第八軍が日本全土を占領することとなつた(調達史一九頁)。

3 調達の実施と日本調達官憲の自主的活動

京都府の受入実行本部では既に進駐の開始された横浜地区に係官を派遣し、右占領軍の受入状況を調査せしめ受入にいかなる物資不動産が必要かを予め調査していた。占領軍は食糧は携帯していたので調達はまず不動産から始められこれらは兵舎、司令部、病院、慰安施設等として利用された(調達史三九頁)ので京都府ではこれらに適当な建物を予め調査し各種施設の提供案を準備していた。九月一五日頃第六軍の先遣将校大佐二名が京都に到着し連絡委員会と協議し所要不動産の調査及下検分を実行した。以後委員長は毎日係官と共に軍に赴き軍の要望に基いて各方面と連絡協議し府と共に接収すべき建物を使用者に伝え又所有者より受領して軍に引渡し或は所有者をして直接軍に引渡さしめた。

京都に限らないが当時世人は占領軍によつて如何なる危害が加えられるかと戦々競々としており占領軍来ると聞いて婦女子は地方に疎開するものもあつた。当時滋賀県の捕虜収容所を解放された捕虜が京都市内に流入して相当みだらな行為があつたので市民婦女子の内には恐怖心を抱くものも生じて来た。又京浜地区の婦女手に対する暴行も誇大に報道されたため京都においては第六軍の進入に対する恐怖よりして難を地方に避ける者も生じ、京都府においても婦女子の避難命令を用意し一〇月の始め第六軍の本隊が進入したとき京都の目抜通りは全部店頭を閉鎖し業務を休止して市街は一時寂莫となつたがその後司令部よりの希望により平常状態に復帰した。この間中央政府よりは軍の受入事務につき特別の指示援助もなく地方の裁量に一任する状態であつたので京都の委員会及び府は中央に頼ることなく専ら進駐軍兵士と市民との間に衝突等の事故を起さないように占領軍の命令には誠意をもつて応ずるのみならず進んで市民の協力を要請する態度をもつて被接収者及び占領軍に接したのである。注意すべきは京都の建物接収において委員会が当初より軍の信用を得たため軍は委員会の方針を全面的に受け入れ府が作成し委員会を通じて提出した各種施設の提供案がほとんどそのまゝ軍によつて受諾され(調達史四八頁)委員会及び府は所有者使用者に交渉してその承諾を得立退かしめた上軍に引渡していたのである。軍が直接民間人より接収するような例は京浜地区その他に比し少く成績良好であつた(調達史四八頁)。接収について軍、委員会、府及び被接収者間に文書が作成されることはなく全部口頭であつた(調達史六一頁)。

所有者使用者と交渉するについて大きい建物の場合には委員長或は知事が直接所有者使用者を呼んで「今般軍で貴殿の建物を使用することになつたから承諾して提供して欲しい。損害についてはこれを国で買うのか賃借するのか今はまだ決らないが国民全体が責任を負うべきもので貴殿だけが負うべきものでないから後日国費で補償する」と述べ場合によつては金若千を交付し「取敢えずこれだけ渡しておく」とて使用料の前渡しをし、平穏裡に承諾を得たのであつて強権を仄めかすような必要はなかつた。

4 補償の約束

京都委員会(府を告む)が建物を調達するについて前記の如くその方針として被調達者に補償を約束したのは徴発ないし調達が法理上補償を伴うものであるとの条理に基いたのみでなくこれをしなければ調達が円満迅速に行かないという占領開始当時の絶対的必要に基いたものである。この措置は財産権不可侵を宣言する近代憲法より見て当然の常識であつたのみならず、スキャップインA七七(第二章一の3)によつても裏書された。又外務大臣が終戦連絡京都委員長のために日銀仮勘定を設けて資金を交付し且つ事故を起さぬよう円満に受入れ実施を訓令したのはかゝる場合等を予想してのことであろう。

又中村委員長は前記の如く委員会の代表として外務大臣より受入れ準備に関して訓令を与えられたのであるから委員会(府を含む)はかゝる超非常時に際しては一々請訓することなく調達実施に必然伴つて来る補償に関しても善処する権限を外務大臣より受けていたものといわなければならない。又知事は一般に国家調達の責任者であるから、この面からして調達に必然伴う補償契約(売買、賃貸借、損失補償契約)をする権限があつたものと云わなければならない。

京都地方において大建築物の調達は本件のみでなく他に多数あつたが委員会の約束した通りいずれも後日調達庁より相当の補償を得て問題は解決しているのである。ひとり本件のみは当初P・Dの発出がなかつたこと(時期的に云つて当時はまだ調達はすべて口頭命令で行われた時代であつて後日制定された文書に依るP・Dのなかつたのは当然である)又内容から見ても本件は建物の所有者とキャバレー運営者が異るため調達庁で不動産の調達命令か役務の調達命令か迷つて居て決定が後れたこと、又第六軍司令部が本国に引揚げて第八軍の管轄に移される等米国軍内部の大異動のために処理が後れたのである。連絡委員会側においても当面の責任者三好知事がまもなく転任し中村委員長も転任し不幸な条件が重つて遂に未解決となつたのである。三好知事は多くの建物調達につき、補償の約束をしてその後始末をどうするつもりであつたかと聞かれて、後日中央政府にかけ合うつもりであつた。又自分がもつと長く京都に在職したら本件歌舞練場の問題も必ず補償を得て早期に解決させたであろうと云つている。

第三章  歌舞練場の調達

昭和二〇年九月末頃京都における調達及び治安の責任者京都府知事三好重夫と祗園新地甲部貸座敷組合取締兼京都八坂女紅場財団法人理事長杉浦治郎右衛門との間において財団法人はその所有に係る歌舞練場(広義)の土地建物(造作、家具、什器、備品付のまま)を進駐軍専用の娯楽施設(キャバレーその他)に充てるため国に提供し国はこれに対し損失の補償をする旨の契約成立しその引渡がなされた。

一、祗園と国との間の調達契約成立の経過

昭和二〇年九月二〇日頃京都における治安及び調達の責任者たる府知事三好重夫は第六軍憲兵司令官ベルと会見した際予ての調査に基づき教会、キャバレー、遊廓等に充てるべき施設につき意見を述べたが、キャバレーに充てるに適当な建物として歌舞練場外一ケ所を挙げた。その直後の頃京都地区憲兵隊マクローベ中尉が部下一三名と共に歌舞練場事務所に来りグランドピアノ一台、ソフアー五台等を持帰つたがその際他日建物全部を取上げると云つて帰つた。九月二三日頃第六軍の憲兵司令部から京都府警察部に対し、歌舞練場(広義)又は南座を軍の専用娯楽施設として使用したいとの口頭命令があつた。命令の趣旨は軍の管理下に日本人ダンサーを使用するキャバレーを日本人経営さすこと及び軍専用映画館を運営することであつた。府では渡辺事務官が軍の命令を受け建物の調査に当りその結果軍ではキャバレーに歌舞練場を使用し、弥栄会館を軍専用映画館とすることに決意し府にその命令があつた。

又その頃別途第六軍調達部より連絡委員会に対し同趣旨の口頭命令があり歌舞練場を指定して来たので委員会では府に連絡すると共に係官をして検分せしめた。九月二四、五日頃府知事三好重夫は組合兼財団法人理事長杉浦治郎右衛門を府庁に招き「軍から申出があるのでキャバレー、映画等占領軍専用の娯楽施設に充てるため歌舞練場(広義)を提供してもらいたい、軍の管理になり憲兵が立番をする。そして建物を改装してキャバレーをやつて貰いたい」と言つた、杉浦は当方は学校法人でキャバレー等と目的が違い建物は学校の教室、講堂に使用すべきものであり、又今財政苦しく改装等の費用はないし経験もないからとこれを承諾しなかつたのである。しかしついで警察部長青木貞雄より軍の要請を拒絶し得ない国内情勢や軍のため適当な慰安設備をしなければその被害が一般民衆の子女に及ぶことを説かれ、又知事よりキャバレー等の経営が不可能ならば双方(府と祗園)で他に適当な者を見つけようではないか、だからとに角土地建物の提供だけは承諾して貰いたい。祗園の蒙る損害は当然国家で賠償するとの話があつたので、法人の理事と組合の役員一同は数回会議を開き尚一方左記三の如く吉本がキャバレー経営者となることを承諾したので遂に三好知事の説得に応じ九月末頃知事に対し歌舞練場の提供を承諾した。この提供契約について書面は作成されなかつたし、賃料期間改装費等当然考えられるべき点についても何の取決めもなかつた。これは当時他の大建物の接収においても同様であつた。

二、調達契約の性質

祗園が施設を提供するに対し三好京都府知事は国費をもつて損失を補償することを祗園(組合及び法人)に約したのであるが損失を補償するとは祗園が自己で使用する場合と比較して受けるべき不利益を賠償する意味と解されるのであるから、本件契約は使用の対価たる賃料を包含するのみならず、改造その他による損害の補償契約を含んだ民法上の賃貸借契約である。しかして双方共占領軍の用に供せられることを予定しているから調達である。当時至上命令と考えられた軍の要請に基づくものであり、又祗園側としては拒絶すれば何らかの強権的方法で取上げられるか処罰等の不利益を受けるのではないかと考え止むを得ず承諾したものであるから、この意味において強権的なものを背後に感じながらした契約である。

三、祗園と吉本、吉本と国との各関係

祗園では知事警察部長等からの説得により結局娯楽施設経営か少くとも建物提供を承諾せざるを得ないと考えるに至るやキャバレー経営等娯楽施設運営者について後日進駐軍が撤退したとき円満に祗園に建物を返還してくれる者であることを希望した。

京都府と祗園との間ではまず松竹株式会社ではどうかとの話が出たが祗園は強力な同会社を希望しなかつた。そして祗園では関西興業界で知られた吉本(会社組織で吉本興業合名会社、その中心人物は代表社員林正之助)を希望し吉本に対し祗園に代つてキャバレー経営等娯楽施設の運営をして貰いたいと繰返し頼んだ。キャバレー改装には当時凡そ一千万円の費用を要すると考えられており、実地を見せられた吉本の林社長はかゝる大規模のキャバレー経営は経験もなく自信もないと中々これを承諾しなかつたのであるが、府から吉本に対しても切なる勧めがあり、三好知事から林社長に対し決して損はさせない改装費は国で負担するとの保証があつたので吉本も遂に承諾し祗園もほつとしたのである。

そして工事着手につき吉本の林社長は府知事や軍に対し所要経費の前払を求めた。軍憲兵隊では日本政府より支出すべしと云い知事は支出につきまだ政府と折衝してないから取敢えず吉本で立替えて貰いたい。後日必ず補償するとのことであつた。そして一〇月初旬吉本の林社長は軍の命令による改造図面を三好知事に提示し「貴殿から工事促進につき頻々たる督促あるも改造費は将来国より支出して貰えることは相違なきか」と確めたところ責任を持つ旨の回答があつた(甲第五三号証の2項)。一方憲兵隊よりも工事促進の厳命が頻々とあつたので吉本は資金について当時臨時資金調整法によつて凍結されていた火災保険金を特に同法により日銀に申請して解除して貰い(甲第一五号証第二の二)これを使用して工事の進行を始めたのである。

右の事実を法律的に見れば祗園及び府は吉本に対しキャバレー等娯楽施設経営を委託した(民法第六四三条、第六五六条)

ものであり、府は尚その他に吉本に対し改装費その他の損失補償を約したものである。

四、引渡

昭和二八年九月末頃祗園は吉本に対し弥栄会館の一部(祗園側で当時組合の事務所に使用していた部分合計二八七坪四八五甲第二七号証添附図面第三、四、五号の各赤色部分 この部分は吉本との合意によりその後も祗園側で使用することが認められた)を除きその他全部の歌舞練場(広義)の土地建物備品付を吉本に引渡した。吉本は一〇月始頃より使用人を茶席に宿泊させて常駐させ軍憲兵隊の指示により建築業者を入れて歌舞練場(狭義)の大改装と弥栄会館の改修に取かゝつた。引渡しは調達の性質上(第二章一の2の末尾)祗園より府又は軍に、そして府又は軍より吉本に引渡してもよいし又祗園より吉本に引渡してもよいのであつて祗園、府、軍、吉本間において吉本が改装の上運用することゝなることが明であつたので全関係者了解の上で祗園から直接吉本に引渡したものであり、祗園としてはこれにより府に対する提供を実行したこととなるのである。

五、調達直後の祗園と吉本との関係

祗園と吉本との関係は本来祗園が現存設備を提供しこれを改製して娯楽施設の運営をするよう命ぜられたのに、祗園は設備の提供のみを実行し残部を吉本に懇願依頼して実行(娯楽施設の経営)して貰うというにあるのであつて、いやな仕事の一部を委託してやつて貰う即ち経営の委託であり、吉本からすれば本来祗園のなすべき事を祗園に代つてしてやるということになる。祗園や吉本の当事者もかく両者の関係を考え口頭で表現していたのであつて吉本の林社長も口癖のように祗園に対し自分の方は元来貴方のやるべきことを代つてやつてやつたのであるから感謝して貰わなければならぬと云つており祗園もこの点同感であつたのである。昭和二四年祗園が京都府に提出した陳情書(甲第二六号証第二文の終)にも祗園は吉本に経営を依託したと記載されている。即ち祗園と吉本とは合体して軍の要求を満足させたのでありこの意味においては共同事業の遂行である。これらの点からして吉本より祗園に対し改装費は祗園で負担すべきだとの話があり、祗園では財政が苦しいからとにかく一時吉本で支出して貰いたい。負担は国から補償もある筈であるし祗園吉本のどちらに補償があつても吉本の一方的負担にならないよう考慮しようということであつた。

見方によれば祗園は自己の責任において吉本に経営を委託したのであるから吉本の失費を賠償する義務がある。そしてかく見れば吉本は祗園に請求し祗園は国から改装費の補償を受けるのが筋となり、従つて国から吉本に補償があるか祗園に対してあるかは祗園、吉本ともよくわからなかつたのである。契約書(甲第一七号証の一の四項)にも改装費は吉本の負担とすると書かれているが、これは終局的には国より補償があるにしても差当り改装費を祗園で負担するか吉本で負担するか問題になつたからである。但し改装費を差当り吉本が負担することは原則であつて始めから祗園の負担する約束の部分もあつた。即ち弥栄会館について暖冷房装置及びエレベーターの取引費用の半額(甲第一七号証の二の二項)、観客用椅子の取付(同号証の五項)、ペンキ塗、土間直し費用を負担することとなつた。これらの費用は後記の如く祗園において実際昭和二〇年一二月頃合計約八〇〇、〇〇〇円を支出した。又全建物の屋根の修繕は今後とも祗園の負担とする約束であつた。

祗園としてはかく全建物全設備を徴用されて無収入となるのみならず改装費の一部屋根修繕費をも負担し税金保険料の支払もしなければならず困難な財政が更に悲惨なこととなるに拘らず政府の本件処理(例えば賃貸借)がなかなか決定しない状態であつたので一〇月中頃吉本に対し将来キャバレーや弥栄会館の映画開業の上は日銭も入るであろうからせめて一ケ月二、三万円位支払つてほしいと申入れ折衝の結果一〇月三〇日吉本が祗園より既に引渡を受けた全設備を祗園より賃借する形を作り賃借料の形で年三〇万円を祗園に支払う合意が成立し契約書が作成された。(甲第一七号証の一、二。なおこの契約書において祗園は賃貸人を貸座敷組合代表者杉浦治郎右衛門と表示しているが、これは要するに祗園代表杉浦治郎右衛門という意味であり法律的には組合兼法人代表杉浦治郎右衛門の意味である。)

当時占領は一〇年という俗言があつたので契約期間は一〇年とし占領がそれよりも短期に終つたときはそのとき返還する約束であつた。(契約書中「国策の変更により当初の目的達成不可能となつたときは双方紳士的に之を解決するものとす」とはこの趣旨で文中に占領の終了を謳うことは不穏当と危倶されたからである。)

この賃貸借が賃借物使用の正当な対価を受領するという通常の賃貸借でなく名のみの賃貸借であることは右成立の経過と公正証書も作成しなかつたこと等よりして明であるが、又何よりも権利金保証金のないこと、賃料の特に少額なこと及び歌舞練場(広義)は祗園にとつて歴史的に婦女の教育場都踊り会場として絶対必要の場所設備であり何物にも代えられず自由意思によつて他人に使用権を与える筈のない物件であることからしてこれを推察されたい。

賃料年額三〇万円を定めるについて当事者は他の何等かの標準に基づいて算定したものでなく只何となく決めた額である。通常の賃貸借であれば権利金四〇〇万円、賃料年額二四〇万円以上のものと考えられる。何となれば吉本は昭和二〇年一二月歌舞練場(狭義)の一部約一四〇坪を後記(第四章二の1)の如く安宅産業株式会社に権利金二〇万円、賃料一ケ月金一万円で転貸したのであつて吉本が祗園より借用した建物延坪三〇三二坪(祗園の全建物延坪三三二〇坪--第一章二の冒頭--より吉本に引渡さなかつた二八七坪余--第三章四--を控除したもの)は右転貸部分の二〇倍以上でありしかも吉本が祗園に貸したのは建物だけでなくグランドピアノ二台、高級机、椅子数百点等莫大な備品付のまゝであつたからである。

この形のみの賃貸借によつて祗園は吉本より賃料として昭和二〇年一一月頃昭和二一年一一月頃各金三〇万円、昭和二二年一二月金二五万円(八坂グラブの返還を受けたので五万円割引)合計八五万円を受領した。その後は吉本に対し建物の返還交渉に入つたので受領していない。

第四章  調達後の娯楽設備と経営

一、設備

歌舞練場調達の目的は前述のとおりキャバレーと映画にあつた。そしてキャバレー経営のために憲兵司令部の指示によればまず物的設備として歌舞練場(狭義)の改装工事と人的設備としてダンサーその他の従業員の用意を要し、映画のためには弥栄会館に観客用椅子設置その他の設備を要した。軍では一二月二四日のクリスマスに開場できるようにせよと吉本に対し突貫工事を命じた。

1 歌舞練場の改装

細部に至るまで軍の指示命令に従い吉本は建築工事関係を木村組に電気工事関係を弘光電気商会に施工させ、一〇月始頃より突貫工事を始めた。物資不足の当時木材釘等の資材については特に府の特配をも受け資金繰りに苦しみながら約三ヶ月を要してこれを仕上げ一二月二七日キャバレー「グランド京都」として府軍等立会の盛大な開場式をするに至つた。

主要な改装は「便所を洋式にする、事務所及びクロークルームを作る、庭を改造する、格天井を壊してベニヤ板ペンキ塗天井にする、玄関に新しい格天井を作る、講堂の花道を取払う、舞台を二間巾切取る、約三〇坪の桟敷を作り(テーブルを置いて飲酒の席とする)四本柱を各所に立てる、テイールーム、変電室、暖房機械室を設ける、ダンス場下段一〇〇坪上段七〇坪に床を張る」とこれに伴う電気工事及び照明の電気設備等である。工事材料千余万円相当は吉本が調達し木村組弘光電気商会には材料費の価格に応じた工事手数料を支払つた。その後営業開始後にも軍の命令によつて度々模様替改装が行われ多少の修理費も含めて工事費四、五百万円の支出が行われた。従つて支出は合計凡そ千五、六百万円である。これによつて歌舞練場は純洋式の大キャバレーに改修され従来の用途たる都おどりの会場に使用することは不可能な状態に模様替された。(甲第五三号証の四項、甲第一五号証の第二)

2 人的設備

食料難の当時新聞公告によつて集つた数千人の素人婦女子の中から軍がダンサー三〇〇名(大規模であることを想像せしめる)を採用しこれを多く八坂クラブに寄宿させ軍の下士官がこれにダンスを教え又ダンサー外の従業員数十名も用意させた。

3 弥栄会館の改修

やはり軍の指示によつて観客用椅子及びエレベーターの設置、ペンキ塗、土間直し、暖房設備、地階にダンサー更衣所身体検査室設置等の工事が昭和二〇年一二月迄になされた。

費用凡そ百数十万円で内観客用椅子七一〇人分取付費一七万円、エレベーター取引費の半額一〇万円ペンキ塗費四〇万円土間直し費一〇万円合計七七万円は祗園が負担して昭和二〇年一二月これを吉本に支払つた。

二、経営

昭和二〇年一二月末から吉本の経営が開始された。

1 キャバレー以外の運営

当初軍の方針では弥栄会館を軍専用の映画館とする予定であつたが昭和二一年始頃映画は他所で行われることとなつたので弥栄会館は吉本が一般人向の映画館として経営した。但し地下はダンサー更衣室身体検査室等として吉本が使用した。

別紙第二目録の歌舞練場の建物中「二階建休憩室一六二坪六合二勺外二階坪一三〇坪七合四勺」の一階の部分中二一二坪余(甲第二七号証添付図面第一号緑色の部分)を除いた約一四〇坪は吉本より安宅産業株式会社に転貸され同会社において半分をショールームと称し、進駐軍向け雑貨及び貿易品の展示販売に使用し半分をブルニエと称し洋食堂を経営した(甲第二七号証、第一八号証の一、二)。又茶席は吉本の従業員の居住に使用され、八坂クラブはダンサー宿舎とその検診所に使用された。

2 キャバレーの経営

狭義の歌舞練場中前記ショールーム、ブルニエを除いた部分(検甲第一号証で赤線をもつて囲んだ部分)でキャバレーが行われたのである。この経営は強度の軍管理下にあり軍の直営であつて、吉本は労務を提供し、労務管理をしたに過ぎない。事業経営というには遥かに遠く多くの赤字であつた。

軍管理について述べると、軍の憲兵七、八名が常駐し玄関に三、四名居て出入者を監督し日本人の出入を許さず、常駐の他の憲兵は開業、終業の時間を定め経営全般の監督をし、衛生監督、販売物品数量検査帳簿の点検等をした。又営業時間外でも日本人がダンス場に出入することは許されなかつたが、慈善のために特別に憲兵司令部の許可を得て一、二回使用を許されたことがある。即ち憲兵の占有にあつたのである。それで日本の警察権はこれに及ばず、勿論日本の警察より営業許可を得ることはなかつた。又キャバレー営業は日本人の一般営業と異り入場税、飲食税が課せられなかつた。日本側税務署においても米国軍施設として認めて居つたが、これは軍の占有下にあること及び営業の実体は吉本が単に労務を提供した点からしても当然であつた。

吉本の収入は入場料(一回一〇円)ビール一本の売値七円の手数料若干、ダンス券の四割(六割はダンサー)のみで他の飲食物(コラ、ピーナツ類)はドルの軍票で支払われ吉本は無手数料であつた。

そしてこれら吉本の収入となる料金代金は憲兵司令部で一方的に極端に安く決定し屡々の値上陳情も許可されなかつた。吉本は経営困難となり廃業を申出たが他に代るべき施設がないとて許可されなかつた。又改装費についても吉本より軍に補償の陳情をしたが黙殺された由である。

三、調達形式の検討

以上キャバレー経営の実体とその後整備せる調達規則から見れば軍や国が本件調達の目的を達するには(イ)祗園より土地建物設備を調達し吉本とのサービスコントラクトによつて行うか或は(ロ)経営につき軍の関与しない営利的基礎に立つ全くの自由営業で行わせるべきであつた。

四、日本人のキャバレー入場許可

京都は第六軍司令部の所在地として附近に大部隊の駐留を予定されていたがアメリカ政府の方針変更によつて昭和二〇年一二月末日第六軍は廃止され日本全国は第八軍のみによつて占領され京都は第八軍の第一軍団司令部所在地となり駐留兵も逐次減少し本件のような大規模の慰安施設は過剰となつた。入場者も減少し、吉本の経営は更に苦しくなつたので吉本は昭和二三年頃より軍に対し日本人の入場を許可するよう陳情しこれが許可されて昭和二四年四月一日より日本人の入場が許可されるに至つた。しかし日本人の入場者は僅少であつた。日本人の入場が許可されるようになつてからは対日本人の関係においては料金は自由営業となつたが対占領軍人の関係では従前と変りなく依然憲兵も常駐し管理した。

日本人の入場許可は軍専用の解除ということは云えるであろうが調達の解除を意味しない。従前祗園より調達庁に提出した陳情書等に調達の解除の如く記されている部分のあるのは理論上の誤解である。

第五章  祗園の歌舞練習場回復(調達の終了)

一、吉本興業合名会社と吉本興業株式会社

吉本興業合名会社は昭和二三年七月解散しその財産及び事業を吉本興業株式会社に移転し従つて歌舞練場の占有及びその運営も移転した。(甲第一五号証、甲第二七号証)

二、八坂クラブ(大部分)の回復

戦後の秩序が回復し祗園も昔日の状況を回復するにつれ祗園では接収された建物を旧来の用途に使用する必要切なるものがあり、その回復を切望するに至つた。そこで昭和二二年中頃吉本に対し吉本で大して使用しなくなつた八坂クラブの返還を請求した。吉本は軍の指示を求めた上これを承諾し、一階の一部一三坪余の一室(甲第二十七号証添附図面第二号緑色の部分)を除きこれを祗園に返還した。爾来祗園はこれを学校の事務所及び教室として使用している。

三、軍及び府に対する陳情

昭和二二、一三年頃よりひとり祗園のみならず京都の府市観光連盟等観光京都の側からも伝統の都おどりを復活すべしとの声が高くなつたが、その会場として最もふさわしい歌舞練場を接収されたため祗園はやむを得ず昭和二五年二六年二七年の三回松竹株式会社より南座を借りて都おどりを復活公演した。しかし早くより祗園は何とかして歌舞練場及び弥栄会館を回復したいものと考えており、又昭和二三年一〇月京都観光連盟と商工会議所が連合して都おどり復活委員会を組織し軍に建物の返還を陳情した。祗園では昭和二三年末頃吉本が軍に対し軍専用解除、日本人の入場許可を申請した(甲第四章の四)と聞きこれが許可されては元来軍の専用に供するからということで貸しているのに専用でなくても吉本に使用され文句を云わないようでは吉本に対する回復請求の理由を失い回復が遅延すると考え祗園はその頃組合取締杉浦治郎右衛門の名において第一軍政部長に対しこの建物は当組合の所有であり将来都おどり会場として使用したいのであるから、吉本の申請を許可しないようにされたいとの日本文陳情書を提出した。しかしこれは効果なく日本人の入場許可のあつたことは前記のとおりである。

祗園は又吉本に対しても建物返還の交渉をしたのであるが埒明かずそこで昭和二四年初頃組合取締杉浦治郎右衛門の名において京都府知事に対し吉本に建物を使用させたのは府の責任であるから府の責任において建物返還を解決して貰いたい旨の陳情をしたがやはり効果はなかつた。

四、訴訟及び調停

1 訴訟

昭和二四年三月たまりかねた祗園は財団法人が原告となつて吉本興業株式会社及び柴原政一(安宅産業株式会社の使用人でプルニエ営業名義人)を被告として京都地方裁判所に建物の返還訴訟を提起した(同庁同年(ワ)第一八七号家屋明渡請求事件)。柴原に対してはショールーム及びプルニエの部分、吉本に対してはその他の部分(歌舞練場、弥栄会館、八坂クラブ)に対する明渡を求めた。この訴訟の請求原因の要旨は祗園は吉本興業合名会社に貸したのに無断転貸で吉本興業株式会社及び柴原政一が使用しているのは不当であるというにある。

これに対し吉本の主張の要点は、吉本合名と吉本株式とは林正之助の主宰する世間の所謂吉本で同一というべきものである。又、吉本は改装費に千数百万円(時価五千万円)を投じているから祗園がこれを弁償しないで返還を求めるのは権利の濫用であるというにあつた(甲第一五号証)

2 調停

訴訟は昭和二五年調停に付せられ(同庁同年(ユ)第五二号)調停委員として特に京都の名士三名、元京都府知事田村義雄、商工会議所会頭中野種一郎、観光連盟会長富森吉次郎が選任され鋭意調停の結果昭和二六年一一月一九日調停が成立した。調停には新に設立された学校法人八坂女紅場学園が利害関係人として参加した。

調停の内容の要点は(イ)ショールームプルニエの部分については吉本はこれを祗園(財団法人及び学校法人)に返還し、祗園は更に安宅産業株式会社に昭和三〇年まで税金、火災保険料を負担させるだけで使用させること、(ロ)吉本はその他の部分を祗園に対し昭和二七年一月末日限り明渡すこと、(ハ)祗園は吉本に対し改装費補償として金三〇〇〇万円を支払うというにある。調停条項は一方の当事者を財団法人及び学校法人とし他の当事者を吉本株式会社としているが、財団法人は既に清算中で財産はすべて学校法人が承継したのであるから一方の当事者は実は学校法人のみであり、又吉本株式会社は吉本合名の財産を承継したのでありこれら当事者の点は双方共かく納得了解の上調停が成立したのである。

その以前祗園は軍政部と憲兵隊に対し建物の返還を申請し、憲兵隊は自己に対する申請を軍政部に移牒した。軍としても大規模なキャバレーの必要はなくなつてきていたので右調停につき吉本より指示を仰いだとき調停により建物を祗園に返還することを許可した。吉本の明渡というも歌舞練場(狭義)については実質は軍の占有であるから軍からの明渡に外ならないのである。

3 調停の経過

調停の経過としては建物を都おどり復活のため又祗園の古くよりの本拠である点から祗園に返還することはまず意見の一致を見た。しかし吉本側では、祗園及び府の依頼により祗園に代りキャバレー経営をしたため多大の支出をした歌舞練場弥栄会館の改装に千七、八百万円の支出をしておりキャバレー経営は数百万円の赤字であつた。又改装費については祗園も将来これが負担を考慮する約束が吉本と祗園間にあつた(第三章五)のである。よつて少くも改装費原価のうち一五〇〇万円を、その後の物価謄貴を加味して少くも三倍の四五〇〇万円と評価しこれを支払つて貰いたいと主張した。祗園側では吉本の右主張する点は調査の結果すべて認める。殊に自分でキャバレー経営をしなければならないところを吉本に代つてやつて貰つて助かつたことは事実であるが、祗園側も接収によつて多大の損失を受け財政困難であるから、改装費は当時の原価一五〇〇万円の限度で、この一五〇〇万円は祗園でキャバレーを経営しても必要な経費原価だつたのだから認めようというにあつた。そして調停委員の一年余にわたる斡旋によつて三千万円で調停が成立したものである。但しこの三千万円をそのまゝ改装費として調停調書に記載するときは課税される恐れがある(改装原価が一五〇〇万円なのに三〇〇〇万円受領することになるから)というので調書面では、(イ)弥栄会館について昭和二七年二月より賃借契約の終期、昭和三〇年一〇月まで四五ケ月間毎月金三三万円(賃借権残存期間中営業によつて得べき金員、造作設備代金、造作設備に対する残期間の賃貸料)合計一四八五万円を支払い、(ロ)歌舞練場(狭義)の立退料並に造作及び設備等の譲渡代金として一五一五万円(この額は真の譲渡代金でなく只三〇〇〇万円より右の一四八五万円を差引いた数字に過ぎない)を支払うと表示されたのである。

祗園は調達庁より補償を得てそれで吉本に支払いたかつたのであるが、調達庁の手続は従来も一向はかばかしくないので後廻しとし、とに角吉本よりの建物返還を急ぎ調停に応じたのであり、吉本も国に補償を請求したのでは結末がいつのことかわからないので、祗園に対し改装費を貰いたいと主張したのである。

4 調停の実行

この調停に基づき祗園(学校法人)は松竹株式会社、京都信用金庫等、より金借して吉本に対し昭和二七年一月二〇日金五〇〇万円(甲第三〇号証)、同月三一日金一五〇〇万円(甲第一一、第三二号証)を支払いキャバレーを事実上廃業していた吉本は一月三一日全建物を祗園に返還した、残金については祗園は昭和二七年九月一日金五〇〇万円(甲第三三号証)、昭和二八年七月三一日金二五〇万円(甲第三四号証)、昭和二九年七月三日金二五〇万円(甲第三五号証)と分割して支払つた。歌舞練場は目もあてられぬ荒廃のまゝ返還されたのであつて、椅子その他の備品はすべて滅失し、吉本の改装によつて価値を増した点は皆無である。

五、調停の終了

昭和二七年一月三一日の吉本より祗園への建物引渡によつて調達は終了したものと解すべきである。解釈によつては祗園は国に提供したのであるから国から返還手続を受けるまでは調達の終了とならないとも考えられるが、吉本より祗園への返還により調達が終了することは占領軍の了解許可するところであり、占領軍は日本政府の上にあつたのであるからこれにより調達は終了したと解すべきであろう。最初祗園より建物を提供したときは、府が当事者であつたのであるがその後府の責任者更替し、警察部の関係においても府はタッチせず、専ら軍の直接命令によつてキャバレーが処理されたため、返還の交渉についても祗園が前記(第五章三)の如く府に斡旋を依頼し無駄に終つたことがある外、祗園、吉本いずれも府に頼らず直接軍との連絡によつて事を処したのである。

六、調停金支払の法律関係

1 国の祗園に対する賠償義務

調達により祗園が吉本に三〇〇〇万円を支払つたことは祗園が知事の勧告によつて建物を提供し、これを回復するため蒙つた止むを得ない損害でその額も決して不当なものではない(左記3)から国は知事の補償の約束、徴発調達の法理及びスキャップインA七七により祗園に対しこれを補償する義務がある。

2 吉本の賠償請求権の祗園への譲渡、祗園の求償権

吉本は元来府知事との調達補償契約(第三章三)調達の法理及びスキャップインA七七により国に対し改装費の支払を請求し得るのであるから、祗園より調停金(改装費用)を受取つたことは国に対する補償金請求権を祗園に譲渡したことになる。又祗園が後日国より改装費につき補償金を得たとき吉本に分与するとの契約(第三章五)の事前の履行でもある。この意味において吉本は昭和二七年一月二〇日祗園に対し後日祗園が政府より改装に関し補償を受けたときその補償金は祗園に属することに異議なき旨の念書(甲第三六号証)を差入れたのである。

又見方によつては祗園は国の吉本に対する補償債務を国に代つて弁済したこととなるので、国に対し求償権を取得したこととなる。

3 国の賠償義務の額

右2の見地に立つ場合吉本より祗園に譲渡された補償請求権の額は昭和二四年一二月二七日閣議決定使用解除財産処理要綱(甲第三七号証)第六項の精神により改装費支出当時の金額に使用解除当時の物価倍率を乗じて得たものとすべきであり、日銀卸売物価指数は昭和二〇年を一とした場合二一年は五・六、二二年は一七・九、二三年は四三一六、二四年は六一・六、二五年は七五・八、二六年は九九・一、二七年は九七・六、二八年は一〇〇である(調達史七五二頁、八九表、七五〇頁)からその要償額は莫大なものとなる。但右卸売物価指数は公定価格あるものは公定価格によつているのであり、実効価格より見ればこれ程の倍率はなく、甲第二三号証の二枚目物価表等より見て昭和二〇年を一とすれば昭和二七年は一〇倍位と想像されるから、改装費原価も少くも一五〇〇万円について国は祗園に対し一億円以上の賠償をする義務がある。この点から見ても祗園が吉本に対し原価一五〇〇万円以上の改装費に対し三〇〇〇万円の支払をしたのは決して不当過大でない。

第六章  祗園の損失

祗園は建物を改造され数年間使用不可能であつたため多大の損失を蒙つた。このため祗園は多額の負債を背負い永く財政困難に苦しまなければならないこととなつた。

一、祗園の支出(約二億円)

法律上損失となるか否かを問わず一応調達に関係ある祗園に支出を左に挙げる。

凡そ二億円となる。この間収入は吉本より受取つた賃料八五万円(第三章五)のみである。

1 調停金の支払(三千万円)

祗園は建物の占有回復のため約三年間の抗争の未調停によりやむを得ず吉本興業に対し前記第五章四の4の如く昭和二七年一月より昭和二九年七月までの間に合計金三、〇〇〇万円を支払つた。

2 歌舞練場(狭義)の復旧工事費(一億二千百余万円)

歌舞練場は改造されひどい荒廃のまま返還され都おどり会場に使用することが不可能なので祗園ではこれが復旧工事をしなければならないこととなり、府市等の協力を得八方奔走して約二十の銀行団から八、七〇〇〇万円の協調融資を得ることとなり復旧工事にかかつた。(甲第三八号証)。この融資は形式上大成が借主となつて銀行より借りこの借りて得た金を大成は祗園に対する債権の弁済として充当した。この借金の利子の支払は祗園より大成の銀行当座へ振込む方法によつてなされ、大成は祗園より振込まれた利子を銀行に支払つたの、である。但し実質は祗園が銀行に対する債務者であり大成ではないのであつてこのことは融資の関係人が皆諒承していたものである。

(イ) 大成建設株式会社施工分(九九六一万七九〇二円)

昭和二七年八月学校法人は大成建設株式会社と代金八九四〇万円で復旧回修工事請負契約(甲第三九号証)をし、実に昭和二八年三月同会社と代金六五〇万円で電気追加工事請負契約(甲第四〇号証)をし、同建設会社は昭和二七年九月頃着工し昭和二八年三月末竣工した。これにより歌舞練場は、同年四月の都おどりから又使用し得るようになつた。右追加工事の外にも多少変更(甲第五九号証の一、二)があつて同会社への工事代金は電気工事費一、六五〇万円(甲第三九号証)の内一、〇〇〇万円と甲第四〇号証の六五〇万円)改修工事費八三一一万七九〇二円合計九九、六一七、九〇二円となりこれは昭和二七年八月より同二九年一二月までの間に支払つた(甲第六〇号証の一乃至一八-但しその後代金の内一〇〇万円の値引を受けたので甲第六〇号証の一乃至一八の金額合計は九八六一万七九〇二円となる)。

(ロ) 電気及び照明設備工事(代金一二二二万三一四七円)をバグナル株式会社外数名になさしめ代金を昭和二七年一二月より昭和二九年六月までの間に支払つた(甲第六一号証の一乃至七、第六二号証の一、二、第六三号証の一乃至三各領収書参照)。

(ハ) 場内装飾(代金四八三万六一七一円-甲第六四、六五号証の各一乃至五)、舞台装置(代金二六五万一一四〇円-甲第六六、六七号証の各一乃至五)暖房装置(代金三五五万円-甲第六八号証の一乃至四)合計一一〇三万七三一一円を大丸外数社に施工させ代金を昭和二八年一月より昭和二八年一二月までの間に支払つた。

(ニ) 復旧工事代として右(イ)(ロ)(ハ)一億二一八七万八三六一円を要した。

3 公租公課及び火災保険料(一千万円以上の見込)

接収より返還まで即ち昭和三〇年一〇月より歌舞練場(狭義)及びその敷地(ショールームプルニエ部分を除く)については昭和二八年三月まで、八坂クラブ及びその敷地については昭和二二年六月まで、その他については昭和二七年一月までについて公租公課及び保険料の額を調査中であるが一、〇〇〇万円を超える見込である。

4 都おどり会場借用費(約一千万円)

祗園では昭和二五年、二六年、二七年の三回松竹株式会社より四条の南座を借りて春の恒例都おどりを公演したのであるが昭和二五年分については開催日一日につき一〇万円、三〇日合計三〇〇万円を借料として松竹に支払つた(甲第四一号証)。

昭和二六、二七年度分については松竹よりの申入により松竹との共同事業とすることとし興業収入の六割を祗園、四割を松竹が取得するこことなり更に松竹は祗園に代りプログラム売却その他を営業することに改められた(甲第四二、第四三号証)がこれらは昭和二五年度分よりも松竹に有利であり従つて祗園は松竹に対し開催日一日につき一〇万円以上を支払つた勘定となる。そして昭和二六、二七年度は開催日各四〇日間であるから合計八〇〇万円以上を昭和二六、二七年分につき松竹に支払つた勘定となる。

5 改修修理費(約百万円)

弥栄会館の改修費七七万円(第四章一の3)その他屋根の修理費若千を祗園は支出した。

6 借金の利子の一部金三四八〇万六三四九円

祗園は吉本に対する調停金三、〇〇〇万円、復旧工事費一億二千余万円を松竹株式会社、銀行団、京都信用金庫、芸技組合、お茶屋業者等より借入れて支払つたのであり、この利子だけでも年間約一千万円を超え祗園の財政を困難ならしめている。現在も利子支払中であるが現在までの支払の内特に顕著なものは左記(イ)(ロ)(ハ)(ニ)である。

(イ) 吉本への調停金支払のため昭和二七年一月一八日松竹株式会社より金借した金一、〇〇〇万円に対する利子合計金六一万二四七四円(但し昭和二七年一月一九日より同年七月三一日までの間数回に支払)

(ロ) 吉本への調停金支払のため昭和二七年一月三〇日京都信用金庫より金借した金一、〇〇〇万円に対する利子合計金一六二万三四四〇円(但し昭和二七年一月三〇日より昭和三〇年六月二四日までの間二十数回に支払)

(ハ) 大成建設株式会社への復旧工事費支払のため昭和二七年八月一二日より昭和二八年一月二六日までの間協調融資銀行団(大和銀行、大阪銀行、協和銀行、住友銀行等)より二十数回に金借した右合計金八、七〇〇万円に対する利子合計二五六四万九五九円(但した昭和二七年八月一二より昭和三二年九月二四日までの間百余回に支払)

(ニ) 右銀行団への債務返済のため京都信用金庫より金借した。

昭和二八年一二月二五日   五〇〇万円

〃 二九年一二月二〇日   六〇〇万円

〃 三〇年 六月二四日 一、二〇〇万円

〃 三〇年一二月二三日   五〇〇万円

〃 三一年一二月二四日   五〇〇万円

〃 三二年一二月二四日 一、二〇〇万円

に対する利子合計六九二万九四七六円(但し昭和二八年一二月二五日より昭和三四年一〇月二二日までの間百数十回に支払)

(ホ) 以上(イ)(ロ)(ハ)(ニ)を合計すれば金三四八〇万六三四九円である。

二、祗園の損失

法律上の正確な損失につき考察する。

1 調停金の支払(三千万円)

三年間の抗争の末止むを得ず吉本に支払つた三、〇〇〇万円。但しこの点について祗園としては国に対し右調停金三千万円の弁償に代え吉本より譲渡を受けた改装費補償請求権一億円以上(第五章六)の請求をすることもできるが差当りこれは主張しない。

2 歌舞練場復元に要した又は要すべき費用(一億二二八七万八三六〇円)

前記一の2の復旧費一億二千余万円は現実の復旧工事費であるが、この結果は昭和二〇年当時の状況よりも改善された点もあるが又改悪された点もあり総じて従前に比し工事による増価はない。復旧工事は旧に復することを目的としたもので殊に財政困難の折でもあり改善を目的としたものではない。建物の外形も旧のままである。理論的には昭和二七年返還当時の状況(検甲第五ないし第七号証、第一二ないし第二三号証)により昭和二〇年当時の状況(検甲第二ないし第四号証、第八ないし第一一号証)に復旧するに要するに昭和二七年当時の物価による費用が改装による復旧用純損失である。この純損失は左記(イ)(ロ)(ハ)合計一億二二八七万八三六〇円と見積られる。

(イ) 建物工事費 八三一一万七九〇二円

本章一の2の(イ)大成建設施工分中電気工事費一、六五〇万円を除いた分である。

これは現実の復旧工事に要した費用であり、建物は復旧工事により若干改善された点もあるが又旧に及ばぬ点もあるのでこの費用が祗園の損失となる。

現実の復旧工事を担当し現場を最も詳細に知る大成建設株式会社に建物工事費の部分につき右純損失の見積を依頼したところ二七八七万八四三五円という結果となつた。(証人山口豊次郎及び甲第四四号証)その額が意外に僅少なので問合せたところこの額中には吉本の改装した在来の電気設備はすべて使用し得るものと仮定し只電灯工事費十九万三〇〇〇円を計上したに過ぎないというのである。しかし在来の電気設備はキャバレー向に改装された建物に設備されているもので復旧工事後は使用し得ないものである。この見積によれば建物工事の復旧用費用としての損失は右二七八七万八四三五円より電灯工事費七九万三〇〇〇円を差引いた二七〇八万五四三五円となるが原告は、この見積に不服であり、現実の復旧費用を損失として請求する。

(ロ) 電気及び照明設備(二八七二万三一四七円)

現実の復旧工事では電気及び照明設備に二八七二万三一四七円を要し(一の2の(イ)中の一、六五〇万円と(ロ)の一三二二万三一四七円)ているからこの額を復元工事費として請求する。

(ハ) 場内装飾舞台装置暖房装置等(一一〇三万七三一一円)

これは一の2の(ハ)に相当する部分で(ハ)と同額として一、一〇三万七、三一一円となる。場内装飾は旧の格天井その他に相当し、舞台装置暖房装置等も現実に前記(ハ)により使用した費用では旧歌舞練場の状態に復するにすぎないのであつて旧以上に改善されないからこの(ハ)の額は全部復元に要する費用と見るべきである。

3 椅子机襖等備品滅失による損害(一千万円)

吉本に引渡された歌舞練場には高級椅子机等数百点美術的価値多大の襖衝立等多数があつたのであるがこれらは或は吉本のキャバレー営業に使用されて破損滅失し或は改造工事によつて滅失した、これらは昭和二七年当時の価格にして一、〇〇〇万円を下らないものとみられる(証人杉田亘の証言等)。

4 都おどり開催不能による損害(四五五九万三〇四二円)

古来都おどりは祗園新地甲部お茶屋組合と祗園新地甲部芸妓組合より成る祗園歌舞会の催すものである。歌舞会は古くより財団法人に対し会場たる歌舞練場の借賃若干を支払い諸経費(出演芸妓に対しては日当支給)を差引いた純益をお茶屋組合と芸妓粗合とが折半ししかも両組合は折半して得た利益をそのまま財団法人に寄附する慣例である。従つて都おどりによる収益は借賃及び寄附の形においてすべて財団法人の収入となるのである。

(イ) 昭和二一年乃至昭和二四年度の損害(三四五九万三〇四二円)

本件調達がなかつたならば祗園(正確には歌舞会)は昭和二一年から毎年春の都おどりを開催したであろうが調達のため昭和二一年乃至二四年はこれを開催することができなかつた。このため祗園の主要財源の一部である都おどりの公演の利益を得られず、その額の損害を被つた。

この額は鑑定人原幸一の鑑定により各開催すべき当時の価額によると(右鑑定は入場者数を内輪に計算し過ぎていて実際の損害はこの鑑定よりも大であるが)

年度     金額(円)

昭和二一    八九九、二五〇

〃 二二  二、六一六、七五〇

〃 二三  五、二四五、五〇〇

〃 二四  八、六二五、五〇〇

であるが、日銀卸売物価指数は昭和九、一〇、一一年平均を一〇〇とした場合に

昭和二一年    一六二七、一

〃 二二年    四八一五、二

〃 二三年   一二七九二、六

〃 二四年   二〇八七六、四

〃 三三年   三四四八二、九

である(甲第七六号証一〇頁)から、このインフレの倍率の二分の一(原告は倍率を乗じたものを請求し得ると信じ、同趣旨の判例多数あるも、倍率の二分の一を許容した判決例もあるので、ここでは特に遠慮して二分の一とする)を乗ずる(但し昭和二四年度は倍率が二以下であるから乗じないで原数額による)と前記の損害は(円未満切捨)

年度     金額(円)

昭和二一年 九、五二八、八三八

〃 二二年 九、三六八、九九〇

〃 二三年 七、〇六九、七一四

〃 二四年 八、六二五、五〇〇

合計  三四、五九三、〇四二

となる。

(ニ) 昭和二五年乃至二七年の損害(金一、一〇〇万円)

昭和二五年乃至二七年は歌舞会が松竹株式会社より南座を借りて都おどりを開催し、昭和二五年は三〇〇万円の借料を支払い昭和二六、二七年は興業収入の四割を松竹に支払つた(甲第四一乃至四三号証)。松竹にこの四割として支払つた額は昭和二六年につき三三四万七八〇二円、同二七年につき一六六万六〇〇〇であるが(松竹は昭和二六、二七年については共同事業としてこの他に従前は祗園側で行つていたプログラム売却その他の収益があつて昭和二五年度の如く一日につき一〇万円の賃料を取得するよりも遥かに有利であり、従つて祗園は松竹に対し昭和二六、二七年(各四〇日間開催)につき少くも合計八〇〇万円、昭和二五年を合算すれば少くも金一、一〇〇万円を松竹に支払つたことになる。その一、一〇〇万円をそのまま祗園の損害として主張することができるか否かについては、南座の観客収容人員と旧歌舞練場の収用人員は殆んど同一である(証人中島勝蔵第二回証言)から、これを肯定すべきである。

5 調達中建物の使用不能となつたことによる損害(一億五〇四四万一九三七円)

第一表

年度           1ヶ月に付

昭和二〇(一〇月より一二月)  四万円

〃 二一            四万円

〃 二二          五万六千円

〃 二三           一二万円

〃 二四           一八万円

〃 二五           二六万円

〃 二六           二九万円

〃 二七           三七万円

〃 二八(一月より三月)   三七万円

この損害は賃料(但し都おどり期間中の狭義の歌舞練場に対するものを除く)相当額ということになり、その額はその間の公租公課火災保険料のみで一、〇〇〇万円を超える見込であること及び既に昭和二〇年一二月面積一四〇坪の建物部分(ショールームプルニエ)が権利金二〇万円賃料年一二万円で転貸されている点等から見て権利金なしの賃料相当額は相当多額のものと考えられる。その額を左に推算する。

(イ) 第二物件(通称歌舞練場とその附属土地)の損害(四〇三八万八四六二円)

(A) この物件について損害額たる賃料相当額を鑑定入吉富正雄の鑑定の結果によつて見るに各当時の価額によれば、

金額

一二万円

四四万円 (都おどり期間一箇月を控除して計算)

六一万六〇〇〇円 (       〃        )

一三二万円 (       〃        )

一九八万円 (       〃        )

二八六万円 (       〃        )

三〇九万三三三三円 (       〃        )

三九四万六六六六円 (       〃        )

一一一万円 (       〃        )

である。

(B) しかし財産法人日本不動産研究所(勧銀調査部を引継いだ研究所)の調査(甲第七七号証の一、二)によつて六大都市市街地価格と木造建築費の各指数を見るに

六大都市市街価格については昭和一一年九月を一〇〇とした場合

年   月   指数

昭和二〇 五   一二五

〃 二一 一   一四三

〃 二一 九   二二五

〃 二二 九   五九九

〃 二三 三  一〇五四

〃 〃  九  一六一八

〃 二四 三  二一五二

〃 〃  九  二七三六

〃 二五 三  二八六八

〃 〃  九  三二九三

〃 二六 三  三九〇八

〃 〃  九  四六三二

〃 二七 三  五七三二

〃 〃  九  八四〇七

〃 二八 三 一一三六九

〃 〃  九 一四八一二

〃 三四 三 四一四二八

である。(甲第七七号証の一第一三頁)

そして昭和二〇年分は一〇月乃至一二月についての損害が問題であるから昭和二〇年度分の指数としては右の内昭和二〇年五月の指数と昭和二一年一月の指数の算術平均により、昭和二一年乃至二七年については同一年度に指数が二個ある場合についてはその算術平均により一個の場合はその数字により、

昭和二八年分はその一月乃至三月分が問題であるから同年三月の指数により、

各年度につき一個の指数を算出するときは(コンマ以下四捨五入)

年度    指数

昭和二〇   一三四

〃 二一   一八四

〃 二二   五九九

〃 二三  一三三六

〃 二四  二四四四

〃 二五  三〇八一

〃 二六  四二七〇

〃 二七  七〇七〇

〃 二八 一一三六九

〃 三四 四一四二八

となる。この指数を昭和三四年(即ち口頭弁論終結時)を一〇〇〇〇とし計算するときは(コンマ以下四捨五入)

第二表

年度    指数

昭和二〇    三二

〃 二一    四四

〃 二二   一四五

〃 二三   三二二

〃 二四   五九〇

〃 二五   七四四

〃 二六  一〇三一

〃 二七  一六八二

〃 二八  二七四四

となる。

(C) 全国木造建築費指数については昭和一三年三月を一〇〇とした場合

年   月    指数

昭和二〇 三  一、一八九

〃 二一 三  二、四一四

〃 二二 三  五、六〇九

〃 二二 九  七、八〇〇

〃 二三 三 一〇、六二七

〃 〃  九 一四、一〇三

〃 二四 三 一六、九二四

〃 〃  九 一六、〇六三

〃 二五 三 一四、二一六

〃 〃  九 一六、三七五

〃 二六 三 二一、一二一

〃 〃  九 二四、六一八

〃 二七 三 二七、三三八

〃 〃  九 二九、九二三

〃 二八 三 三二、七〇九

〃 〃  九 三七、七二六

〃 三四 三 四二、六〇五

である(甲第七七号証の二第六頁)。

そして昭和二〇年乃至二七年については同一年度に指数が一個の場合はその数額により、二個の場合はその算術平均により

昭和二八年分はその一月乃至三月が問題であるから同年三月の指数により各年度につき一個の指数を算出するときは(コンマ以下四捨五入)

年度    指数

昭和二〇  一、一八九

〃 二一  二、四一四

〃 二二  六、七〇五

〃 二三 一二、三六五

〃 二四 一六、四九四

〃 二五 一五、二九六

〃 二六 二二、八七〇

〃 二七 二八、六三一

〃 二八 三二、七〇九

〃 三四 四二、六〇五

となる。そしてこの指数を昭和三四年(即ち口頭弁論終結時)を一〇〇〇〇として計算するときは(コンマ以下四捨五入)

第三表

年度    指数

昭和二〇    二七九

〃 二一    五六九

〃 二二   一五七四

〃 二三   二九〇一

〃 二四   三八七一

〃 二五   三五九〇

〃 二六   五三六八

〃 二七   六七二〇

〃 二八   七六七七

となる。

(D) 第一表の損害額につきそのインフレによる修正を考える場合は第二表と第三表の平均値によるのが妥当であるから第二表と第三表の算術平均値を算出すれば(昭和三四年を一〇〇〇〇としコンマ以下四捨五入)

第四表

年度    指数

昭和二〇    一五六

〃 二一    三〇六

〃 二二    八六〇

〃 二三  一、六一二

〃 二四  二、二三一

〃 二五  二、一六七

〃 二六  三、二〇〇

〃 二七  四、二〇一

〃 二八  五、二一一

である。

(E) よつて第一表の損害額を第四表によるインフレ倍率の二分の一によつて修正すれば(第一表の金額に「一〇〇〇〇を第四表の指数で除したものの二分の一」を乗ずる--昭和二八年は除く--円未満切捨)

年度   金額(円)

昭和二〇 三、八四六、一五三

〃 二一 七、一八九、五四二

〃 二二 三、五八一、三九五

〃 二三 四、〇九四、二九二

〃 二四 四、四三七、四七一

〃 二五 六、五九八、九八四

〃 二六 四、八三三、三三二

〃 二七 四、六九七、二九三

〃 二八 一、一一〇、〇〇〇

合計 四〇、三八八、四六二

となりこれが被告に講求する損害額である。

(ロ) 第三物件(通称八坂クラブとその附属土地)の損害(五、七七三万、五三八五円)

(A) この物件についての損害額たる賃料相当額を鑑定人吉富正雄の鑑定の結果によつて見るに各当時の価額によれば

年度  一箇月につき   金額      摘要

昭和二〇 一七、〇〇〇  五一、〇〇〇 自一〇月至一二月

〃 二一 一七、〇〇〇 二〇四、〇〇〇

〃 二二 二二、〇〇〇 一三二、〇〇〇 自一 月至六 月

である。

(B) よつてこれを前記(イ)の第四表によるインフレ倍率の二分の一によつて修正すれば(円未満切捨)

年度    金額(円)

昭和二〇 一、六三四、六一五

〃 二一 三、三三三、三三三

〃 二二   七六七、四四一

合計  五、七三五、三八九

であり、これが被告に請求する損害額である。

(ハ) 第四物件(通称弥栄会館とその附属土地)の損害(一億四三一万八〇八六円)

(A) この物件についての賃料相当額を鑑定人吉富正雄の鑑定によつて見るに各当時の価額によれば

年度   月額   金額      摘要

昭和二〇 一五万円  四五万円 一〇月より一二月まで

〃 二一 一五〃  一八〇〃

〃 二二 一九〃  二二八〃

〃 二三 三四〃  四〇八〃

〃 二四 五二〃  六二四〃

〃 二五 七六〃  九一二〃

〃 二六 八五〃 一〇二〇〃

〃 二七 八五〃   八五〃  一月のみ

である。しかし弥栄会館延二〇一二坪九六の内接収されたのは未接収坪数二八七坪四八五(甲第二七号証添附図面第三号四号五号の各赤色部分合計)を差引いた一七二五坪一一であるから接収による損害は右各数額にこの比を乗じ(円未満切捨)

年度    金額(円)

昭和二〇   三八五、六五〇

〃 二一 一、五四二、六〇二

〃 二二 一、九五三、九六三

〃 二三 三、四九六、五六六

〃 二四 五、三四七、六九〇

〃 二五 七、八一六、五〇五

〃 二六 八、七四一、四八一

〃 二七   七二八、五二〇

である。

(B) よつてこれを前記(イ)の第四表によるインフレ倍率の二分の一によつて修正すれば(円未満切捨)

年度  金額(円)

昭和二〇 一二、三六〇、五七六

〃 二一 二五、二〇五、九一五

〃 二二 一一、三六〇、二五〇

〃 二三 一〇、八四五、四二六

〃 二四 一一、九八四、九六一

〃 二五 一八、〇三五、三一三

〃 二六 一三、六五八、五六四

〃 二七    八六七、〇七九

合計 一〇四、三一八、〇八六

でありこれが被告に請求する損害額である。

(ニ) 右(イ)(ロ)(ハ)合計は一億五〇四四万一九三七円である。

6 借金の利子の一部(三四八〇万六三四九円)

前記一の6の借金利子既払分三四八〇万六三四九円も調達なかりせば支払の必要がなかつたものであるから損害として請求する。

7 祗園の支出した改修々理費

弥栄会館の改修費(右一の5-昭和二〇年一二月支出)その他合計約一〇〇万円であるがこれは吉本より収受した賃料八五万円(昭和二〇年二一年二二年に収受)と損益相殺し本訴では請求しないこととする。

三、祗園の損失と知事の要請との因果関係等

1 本訴の請求原因として主張する後記第八章(イ)(ロ)(ハ)はいずれも債務不履行又は不法行為によるものではないから、その補償の範囲は「通常生ずべきもの及び予見し或は予見し得べきもの」に限らず(特殊な天然現象等全く奇想天外な原因によるものは除くべきかも知れないが)調達と因果関係ある全損害に及ぶのである。

2 のみならず右のような祗園の損失はすべて府知事の要請と相当因果関係がある。

前述のように祗園は昭和二〇年九月知事の強圧的要請により歌舞練場を提供することを承諾し提供を実行したが、名ばかりで実のない賃貸借契約を締結したのは一〇月三〇日である。祗園はこの提供により大いなる損失を蒙つたのであつて、右の名ばかりの賃貸借契約によつてはその損失の何百分の一をも回収することはできなかつた関係にあり、世間通常の賃料額を吉本に請求したところで吉本の承諾する筈のなかつたことは、前示提供の経緯よりして云うを待たないところである。

更に右損失の各項目について分説する。

(イ) 調停金の支払

敍上のように祗園は昭和二〇年九月知事の強圧的要請により自己の所有する本件歌舞練場を占領軍用娯楽施設とするために提供し、吉本興業がこれを運営した。然るに占領軍は吉本の申請により昭和二四年三月本件各不動産につき軍専用を解除し日本人の入場を許可した。かくては当初の提供の趣旨に反するので祗園は吉本及び京都府(被告国)に対し右専用解除前より建物の返還を交渉したが、らちが明かず止むなく同月明渡請求の訴訟を提起し、昭和二五年これが調停に付され、当初吉本は五、〇〇〇万円を要求したが、昭和二六年一一月三、〇〇〇万円で調停が成立したものである。この訴訟調停において吉本は賃貸借期限未到来を主張したことなく専ら原告が改装費の賠償なくして明渡を請求するのは不当であると主張したのである。調停調書面上調停金の一部は賃貸借期間満了前の明渡なるがための補償とされているが、前述のようにこれは税金の関係上かく表示されたに過ぎず、調停金の趣旨は改装費の補償である。

通常自己(祗園)所有の不動産を他人(吉本)が不法占有によらずして占有を始め相当の工事費(改装費)を投入し使用しているときこれが返還を得ることは困難であつて、立退料その他の名義で相当の支払を占有者に対ししなければ目的を達し得ない。

従つて本件調停金の支払は京都府知事が本件不動産を提供させたことによる相当因果関係内の損害である。又本件不動産を提供させた被告としては原告が建物を回復するには立退料調停金等の出費を要すべきことは予見し或は予見し得べかりしものである。

(ロ) 歌舞練場復元の費用

キャバレー営業をするため歌舞練場(狭義)の大規模な改装を要することは当初より府及び吉本、祗園により予定されていたのであり、大改装をすれば都おどりに使用できなくなり後日祗園に建物が回復されたとき都おどりに使用し得るよう復元工事をする必要のあることは当然であるから復元工事費は知事の提供強請と相当因果関係内の損害であり、又関係者の当然予想し或は予想し得べかりしものである。

(ハ) 椅子、机、襖等備品滅失による損害

この損害が、これらの備品付きのまゝキャバレーの用に供せよとの知事の提供強請と相当因果関係内にあることは当然である。

なおこれにつき被告は昭和三五年二月六日付準備書面において、甲第一七号証の一の一四頁を援用して被告の責任を否定するが、かかる請求権成立を阻却する事由についての主張は原因判決後は提出し得ないのみならず、右甲第一七号証の一の一四頁は「備品什器に対し特別な破損又は紛失等のあつた場合は吉本においてこれを弁償する。但し自然の損傷についてはこの限りでない。」と定めているのみで、本件損害は改装工事及びキャバレー営業使用による損害であつて右にいう自然の損傷であるから、原告は吉本に請求することはできない。のみならず仮に吉本に対し補償請求権があるとしても、その請求権が満足され原告が補償を得るまでは被告に対する請求権は吉本に対する請求権と両立するのであつて消滅しない。

(ニ) 都おどり開催不能による損害

祗園が歌舞練場の供出によつて都おどり開催不能なることは供出の当初より当然のこととされていたのであつて、被告の援用する甲第一七号証の一の一六項、第一七号証の二の七項も祗園において開催する見込のないことを前提とし、もし占領軍の許可があつて開催できる場合も吉本が開催することを認めた趣旨であるから、開催不能により損害を受けることは被告の供出命令と相当因果関係があるのみならず、祗園、府、吉本共に予想し又は予想し得べかりしところである。

なお、昭和二〇年一二月南座の顔見世興業が(甲第七二号証)、昭和二一年五月鴨川おどりが(甲第七一号証)共に既に開催されたこと等からみれば、昭和二一年から都おど

りの開催が可能であつたことは明白である。

(ホ) 調達中建物の使用不能による損害

弥栄会館その他専用キャバレーに使用しない土地建物を含めて本件の全土地建物につき被告が供出を要請し提供せしめたのであるから、この点の損失もすべて被告の要請によつて生じたものである。

(ヘ) 借金の利子の一部

右は吉本への調停金の支払、復元工事に要した費用の支払のため借入金をなしたことによる利子であるが、原告の如き学校法人がかかる出費をなすについては、借入金によつてこれを賄い利子を支払うのが通例であつて、自己保有の資金によつて支払うのは例外というべきであるから、この損害は被告の歌舞練場提供の要請と相当因果関係があるのみならず、当事者の予想し得べかりし損害である。

第七章  祗園の補償請求の経過

祗園は前章に述べた如く本件調達により多大の損害を蒙つたのであつて従来の補償請求を繰返し国に対しなして来た。

一、調達終了前の補償請求

1 終戦連絡事務局に対するもの

昭和二一年頃祗園側では京都終戦連絡事務局に補償の問題を問合わせたところまだ一般に調達補償の方針が未決定であると答えられ又その後問合わせたときは本件は建物の所有者と経営者が異るので不動産の調達が役務の調達か方針が決定しないとの話であつた。

2 京都特別調達局に対するもの(昭和二五年二月)

昭和二五年祗園では京都において帝産オート会社が進駐軍用バス営業を軍の都合により廃止するについて補償金を貰つた話を聞き又京都特別調達局が京都新聞にピアノ等を占領軍に接収された者は補償するから申出られたいとの公告をしたので、財団法人及び組合の事務長杉田亘は同局に赴き昭和二〇年九月最初に軍に取上げられたピアノの返還と歌舞練場の原状回復費の補償とを陳情したところ、同局より「ピアノの返還は可能である。又歌舞練場の原状回復費は軍から正式のPDの発出があれば支払可能であるが本件はPDがないので差当り困難である。しかしとに角陳情書を提出せよ」との指示があつたので、祗園では京都八坂女子技芸専修学校理事長(財団法人理事長の趣旨-学校に理事長なるものはない)杉浦治郎右衛門の名においてピアノの返還を建物原状回復費の補償を求める旨の陳情書を作成し昭和二五年二月一日これを右調達局に提出した(甲第四八号証)。この結果ピアノは昭和二七年になつて返還されたが、原状回復費については何の応答もなかつた。後に聞くところによれば当局においては当時建物の損失補償に対する処理方針が未決定であつたのと正式PDがないとのため原状回復費についての決定を保留してい

た由である。(甲第五三号証五項参照)

二、調達終了後の補償請求

祗園では当面の急務が都おどりの会場たる歌舞練場の回復であり損害の補償はその次の問題であつたためまず専ら建物の回復に努力していたのである。調停の結果祗園は昭和二七年吉本に対し三、〇〇〇万円を支払うこととなつたが、祗園の財政は数年間の都おどり開催不能、弥栄会館の使用不能と右三、〇〇〇万円支出等のため窮乏しその上約一億円を投じて歌舞練場の原状回復をしなければならない見込となり、祗園の理事者は組合員より三好知事の一片の約束を信用して悲惨な今日の窮状を招いたとして激しい非難を受けるに至つた。又、知事、警察部長に対する非難も激しかつた。祗園理事者は責任上からしても、何とかして知事の約束に従つて国家から補償を得、その補償金で復旧工事をしなければならない立場になり以後国家に対し左の如く繰返し補償の申請をするに至つたのである。そして補償が余りに手間取るので止むを得ず銀行の協調融資を得て復旧工事をするに至つたのである。補償申請に当つては知事より補償の約束のあつたことをも述べたのであるが(甲第五三号証二項、甲第五二号証中項、甲第五四号証始めの部及び末項)調達庁ではこの約束の法律的効果等について考えず専ら調達の面からのみ事を考えPDのないことにこだわつていたもののようである。

1 大阪調達局に対する昭和二七年四月の陳情

昭和二七年四月一五日連合国占領期間中における調達に伴う損失補償の陳情書を大阪調達局事業部宛提出したがPDがないとてこれを却下された(甲第五三号号証六項)。この陳情も原状回復費の補償を申請したものである。

2 大阪調達局に対する昭和二七年一一月の陳情

昭和二七年一一月京都八坂女子技芸専修学校理事長杉浦治郎右衛門の名において大阪調達局京都出張所に対し復旧工事見積費八三、〇五九、九〇〇円を補償されたいとの陳情書を提出したが同出張所より大阪調達局宛にせよとの指示があつたので更に宛名を同調達局として提出し昭和二八年三月四日同局に受付けられ係官が出張して調査したが却下された。(甲第四九号証)

3 大阪調達局及び京都府に対する昭和二八年八月の陳情

昭和二八年京都新聞に建物を接収された者は府や調達局に申請すればその損失を補償して貰えるとの記事が出たので祗園は同年八月京都八坂女子技芸専修学校理事長杉浦治郎右衛門の名において京都府知事及び大阪調達局長に対し原状回復費八三、〇九九、九〇〇円の補償を求める旨の陳情書を提出した(甲第五〇、第五一号証)。知事に提出したのは接収が知事の命令により行われ知事が補償の約束をしているからである。

4 調達本庁に対する昭和二八年八月の陳情

昭和二八年八月一五日進駐軍による事故のため被害を受けたものに対する見舞金等支給要領(家屋、家財、死傷者等に対する見舞金)によりこれが損失補償につき京都府知事経由東京の調達庁総務部宛に陳情書を提出した(右3の京都府知事宛のものとは別のものである)。この結果本庁総務部河合事務官が京都出張所に出張し「軍側の使用は事実であるから調達局長の調達確認により返還財産処理要綱により建物の原状回復費を補償してやるのが相当である」との意見を出張所長に指示した。そこで京都出張所では軍に連絡し調達当時の文書がないかと調査したが見付からなかつた。(甲第五三号証七ないし九項)

5 大阪調達局に対する昭和二八年一〇月の陳情

祗園は昭和二八年一〇月二五日京都八坂女子技芸専修学校理事長杉浦治郎右衛門の名において大阪調達局長に対し原状回復費八三、〇五九、九〇〇円の補償を求める旨の陳情書を提出した(甲第五二号証)、この陳情書において祗園は三好知事は国家において責任を持つと確言したことを述べている。

6 京都調達事務所の調書

右の連続陳情と調達本庁係官の出張等により京都調達事務所では本件についての調査を整理しその意見をまとめ「京都八坂女子技芸学校学校附属建物歌舞練場軍専用のキャバレーとして使用中の損失補償方陳情に対する調書」を作成し上司に報告した(甲第五三号証はこの調書を祗園で写したもの)。その要旨は本件は「軍側の使用は事実であり唯正式PDの発出がなかつたため現在まで未処理案件となつているが当時関係当局がPDの発出を軍側に要請すればPDの発出も可能な状態であつたのであるからスキャップイン一八七二号(Preemption-PDのない調達-について)の発出当時その違反事項として補償し解決せらるべきものであるというにある。

7 大阪調達局に対する昭和二九年二月及び三月の申立

昭和二九年二月四日京都八坂女子技芸専修学校理事長代理人弁護士中村豊一より大阪調達局長に対し三好知事より補償の言明のあつたことをもあげ復旧工事に要した費用一一二、一五五、七八〇円、吉本に支払つた三、〇〇〇万円その他都おどりに使用できなかつた補償、適正な賃料の相当額等につき補償を求める申立書を提出した。(甲第五四号証)

昭和二九年三月一八日右祗園代理人中村豊一は大阪調達局長に対し祗園と吉本間の契約書及び調停調書についての法律的説明をした追加申立書を提出した(第五五号証)。

8 大阪調達局の審査

以上の申請陳情により大阪調達局では調達本庁と連絡し三好元知事、吉本の林社長、祗園の理事者等を喚問審査した結果相当額の補償をする方針を決し申請代理人にその旨告知し調達本庁に補償の方針である旨上申した。

9 調達本庁の申請却下

然るに昭和三〇年四月二七日調達庁丸山次長は大阪調達局長に宛て判定書を添え京都八坂女子技芸専修学校よりの補償申請は判定書の理由によりこれを認めないこととなつたから-申請人にその旨伝達されたい旨通知し(甲第五六号証)、これに基ずき大阪調達局長は昭和三〇年五月二七日申請人に対し本庁から通達があり判定書の理由により貴意に添うことができないこととなつたから了承願いたい旨を通知し申請を却下した(甲第五七号証)

右申請却下の理由は判定書によれば「三好知事が建物の提供を命じ国費による賠償を約し祗園が損害を受けたことを今直ちに否定するものではないが諸種の事情から見ると府が調達命令を発して申請人が直接軍に提供したものと見るべきではなく占領軍の強要に原因する京都府当局の勧告を考慮して申請人自らがキャバレー経営者の吉本興業合名会社に建物を賃貸したものと見るを妥当とすべく従つて本申請の請求は吉本興業との間において解決されるべき性質のものである。そして吉本興業との契約は占領軍の強要に基き京都府当局の強い勧告に基きやむを得ず締結したものでその結果申請人が損害を被つたものであるから政府の責任は免れないのではないかとの議論があるがこれは行政官庁として判断すべき限りでなく専ら司法権の問題であると考えられる。」というにある。

10 申請却下の不当

右調達庁の判定は本件が調達の実体を有する以上同庁として補償を与えるべきであり他に司法権による救済のあることは補償を拒絶する理由にならない点を忘れたものであり国家賠償法一条にいう重大な過失があるものである。

第四章 本訴による原告の請求

国は祗園に対し(イ)三好知事の賠償約束により(ロ)徴発調達の法理により(ハ)スキャップインA七七によりその蒙つた損害を賠償すべきである。

その損害賠償中本訴においては

一、第六章二ノ1ないし6のみ合計三九三、七一九、六八八円

二、第七章二の7記載のように原告は昭和二九年二月四日被告に対し復旧工事費用、吉本に支払つた三、〇〇〇万円その他都おどりに使用できなかつた補償適正な賃料相当額等本件調達による全損害を補償されたい旨請求したので、これにより本件債務中第六章の二の1ないし5合計三五八、九一三、三三九円は遅滞に陥つたものであるから、これに対する遅滞後の同年三月一日から完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金

三、第六章の二の6の三四、八〇六、三四九円に対する本訴においてその請求を追加した昭和三四年一一月一三日付請求の趣旨変更申立書の送達の翌日である昭和三四年一一月二二日から完済まで右同様年五分の割合の金員

の各支払を求める。

第三、被告の答弁

一、請求原因第一章ないし第五章については、第二章一の内その4の内の「本件もこのPDがなかつたために補償措置がのびのびになつてしまつた」との部分を除くその他の事実及び第二章二の事実は認めるが、その他の主張は認めない。

二、その事実関係を略述すると大要次のとおりである。

(一)(1)  昭和二〇年八月一五日終戦に伴い政府は戦時態勢を速かに解いて進駐軍を受け入れる準備をする必要に迫られた。そこで同月二二日には閣議決定をもつて政府に終戦処理会議を設け、その下に終戦事務連絡委員会を附属させて「停戦協定事項を正確に実施するため、右事項に関する大本営および政府各機関の分担事項の確定およびこれが実施促進に関する事項」を処理することとした。ついで右にかえて同月二六日進駐軍よりの要求により外務省の外局として終戦連絡中央事務局が設置され、九月七日の閣議で「終戦連絡事務局の地方機構に関する件」が決定され、中央の右機構に呼応して必要な個所に終戦連絡地方事務局が設置され、又その目的達成のための協力機関として終戦連絡地方委員会(委員は、関係各省、地方総監府、都道府県等の関係官とし、委員長は地方事務局長がこれに当る)が設置され、地方機構は漸次整備されて来た。(調達史一〇〇頁以下)これに伴い九月一九日には内務次官から知事あての「地方における終戦事務に関する件」が発せられたが、これは右閣議決定に基くものであつて、地方長官を終戦事務について政府の責任者とするとの明確な趣旨ではなく、渉外事項は外務官吏が行うかち、地方長官はその協力を遺憾なく実施するようにとの通牒に過ぎないものと解される。

(2)  かような政府の進駐軍受入態勢に応じて、京都府においても、進駐軍の京都進入を予定し、終戦後時を移さずその受入準備を開始した。

その一環として進駐軍から一般婦女子を防衛すること、そのためには進駐軍将兵に慰安を提供することが考慮され、八月中、下旬には、神奈川県方面に係官を派遣して実情調査の上これを参考として具体案を練つた。その結果八月下旬には市内の接客業者又はその団体に対し進駐軍将兵向きのダンスホール、キャバレー、接客宿等の経営方を懇請ないし勧奨した。業者中には利益をあて込んで積極的に経営を希望するものもあり、資金不足等を理由に躊躇するものもあつたが、早いものは九月一一日には改装工事を終り営業を開始するにいたつた。(乙第一三号証)

(3)  当時本件不動産は、戦争の影響を受け、数年来都踊等の公演もできなかつたが特に終戦直前まで両三年間は風船爆弾の工場として荒れるに任されていたのみならず、料理飲食店禁止のため組合所属のお茶屋も閉店を余儀なくされていた。そこで京都府においては本件不動産を進駐軍将兵向きの慰安施設(キャバレー等)とするのが適当であると考えたので、他の同種業者に呼びかけると前后して、三好知事、青木警察部長らが組合理事長杉浦治郎右衛門にこれを交渉した。

杉浦はキャバレーの如き経営の経験がないことや、資金不足を理由としてこれをしぶつたが、たまたま経営希望者として吉本興業が現われたので、杉浦は本件不動産を同社に賃貸し、京都府当局の希望に応ずることとなつた。

その時期は、おそくも九月一〇日前后頃であつて(乙第一三号証、三一号証)、当時はまだ進駐軍は京都市に進入していなかつたのである(乙第八号証、九号証)。したがつて進駐軍の命令というものは考えられない。結局は府当局が軍進入后の地方行政をうまくやるための一つの方法として歌舞練場に軍将兵向きの慰安施設の設置を考え、これを杉浦に懇望したところ、杉浦は経営経験がないので当初はしぶつていたが、経営者として吉本興業が出現したため府の希望が実現したということに帰するのであつて、国が調達したという関係では全くない。

(4)  他方前述の政府の方針に基き中村公使は九月七日一〇数名の要員とともに京都市に着任し、府庁に終戦連絡京都地方事務局を開設して進駐軍の入洛を待つた。

やがて九月中旬頃数名の先遣将校が、次いで同月二〇日二〇名位の先遣部隊が京都市に来て視察を行つた。その連絡、折衝は終戦連絡京都地方事務局が担当したが、宿舎、事務所の調達についての調査、下検分はあつたけれども、慰安施設はなんら調査の対象とならなかつた。

ことに、京都市は戦災を受けておらず平静であつたし、練達な調達将校が先遣部隊にいたため進駐軍としてはキャバレーのような慰安施設を調達しないという方針を熟知しており、終連側職員もこれを諒解していた(吉岡章の証言)。進駐軍の本隊は九月二五日頃より入洛しはじめ米第六軍司令官クルーガー大将、憲兵司令官ベル大佐は前后して二八日京都に入つた(乙第二三号証、二五号証)。ベル司令官は翌日頃府当局の案内で市内を視察したが、当時すでに歌舞練場は進駐軍向きの慰安施設として改装中であつた。もちろん、ベル司令官から慰安施設について調達の要求はなされていない(山田勝太郎の証言)。前記のように先遣部隊に有能な調達将校(第六軍の調達将校であり、のちに第八軍のそれになつたフェゴッシー中佐)がいたため、慰安施設(たとえば本件不動産)のごときを調達することもなく、調達事務は円滑に進み、口頭調達という便法も殆んど行われず、九月中すでに調達命令書(P・D)により正常な調達が行われるという運営ぶりであつた(乙第三三号証、第三四号証、吉岡章の証言)。

(二)(1)  吉本興業は右のようにして本件不動産を借り受け九月中旬にはその引渡を受けたが、賃貸料は年額三〇万円と定め、(この約定賃料は当時の公租公課額年間一二、五六〇円一六銭に比すると決して低額ではない)三年毎に改めて協定すること、賃貸期間は一応一〇年と定め事情によりこれを延長しうること等を約定した(甲第一七号証の一、二、甲第六九号証の一、甲第七〇号証の一)。

右約定によれば、吉本興業は本件不動産を足場として大阪より京都への進出を意図したことが窺われるが、歌舞練場(狭義)を進駐軍向きのキャバレーに、弥栄会館を一般の映画、演劇場とする方針のもとに改装工事に着手し、その後安宅産業から歌舞練場の一部の転貸方を申し込まれ、これを承諾して転貸借契約が成立し、安宅産業はこれを一般向の日本商品展示場及び喫茶飲食店とすることを計画した。かくして弥栄会館はヤサカ会館として昭和二〇年一一月二一日、キャバレー及びショールーム、プルニエ(安宅産業転借部分)はそれぞれキャバレーグランド京都及びショールーム・プルニエとして同年一二月二七日開業した(乙第二六号証、乙第二八号証、乙第二九号証、乙第三〇号証、乙第二一号証、甲第一八号証の二)。

(2)  終戦後の混乱が平静に戻り、京都における進駐軍の駐留が少なくなるにつれ、祗園は従来の経営形態で歌舞練場を利用するのが得策であると考え、京都観光と都おどり復活という理由をかかげて吉本興業から返還を受けようとした。けれども、吉本興業は自己の営業政策、ならびに前記賃貸借契約の条項を理由に、祗園の要求には容易に応ぜず、結局昭和二四年三月祗園は明渡訴訟を提起した。

訴訟は、昭和二六年一一月一九日調停成立により終了したが、その内容は、祗園は吉本興業に対し改装費用、賃貸借期間残存分補償料として三千万円を支払い本件不動産(ただし、ショールーム、プルニエ部分を除く)の返還を受けること、ショールーム、プルニエ部分は、引続き株式会社京都プルニエに昭和三〇年一二月二五日まで賃貸すること等であつた。右訴訟ないし調停中、両当事者ならびに代理人、調停関係者は、本件不動産の賃貸借関係につき国が何らかの法律上の責任を負うと考えてもいなかつたので、その主義、助言をしていなかつたことはもちろんで、国とは無関係に訴訟調停が行われた(椹木義雄の証言)。かくして、昭和二七年はじめ祗園は吉本興業から歌舞練場の返還を受けたが、祗園はそれまで国に対し本件について損害の補償請求をしていなかつた(吉岡章、山元章の証言)。甲第四八号証(昭和二五年二月一一日付)は、昭和二八年改変されたもので(山元章の証言、検乙第一号証)、調停成立前から祗園が国に対し歌舞練場について補償の請求をしていたように見せかけるためになされたものの如くである。

これらの事情から推測すると、祗園も従来は、歌舞練場が調達されたなどと少しも考えていなかつたのであるが、吉本興業から歌舞練場の返還を受けるにあたつて相当の期間を要し、かつ多額の支払を余儀なくされたことから、その負担を国に転嫁しようとして昭和二八年になつて補償の請求をしはじめた(甲第四九号証)ものと思われる。爾来屡次にわたり国に対し請求、陳情をしたが、国においてはこれに応ずる根拠が全くないので、いずれもこれを却け、結局本件訴訟となつたものである。

三、歌舞練場について被告に損害補償の義務はない。

(一)  歌舞練場が調達されたことはない。

(1)  一般に調達というのは、軍がその占領目的を達成する必要上、日本政府に対して物資、役務の提供を命じ、政府がその要求を充たすために私人から契約によつて任意の提供を受けるか、もし私人が任意の提供を承諾しなければ、昭和二〇年一一月一七日勅令六三五号要求物資使用収用令、同月一九日勅令六三六号土地工作物使用令(以下使用、収用令という)を発動して強権的にこれを取得して、これを軍に提供する関係をいう。もつとも占領軍の調達要求は、直接には政府に対するものではあるものの、一般私人にとつても、それは殆んど至上命令と考えられ、これに基いて政府が私人に要求物件の提供方を接渉懇請すれば、私人がこれを拒否することは殆んどなく、従つて、政府が使用収用令を適用して強権力を発動した事例は稀有に属する。

かくして、軍の調達要求に基く政府の私人に対する物資役務の提供方の懇請接渉は、実際上は殆んど命令にも等しい意味を持つ結果になるのであるが、形式的には、政府が使用収用命令を発動しない限り、それはあくまでも任意の提供を求めるものであり、結局は貸借、売買、雇用、請負等の契約、(以下貸借契約等、または借上等という)によつて私人からその提供をうけ、該契約に基いて私人に賃借料を支払い損失を補償するものといわなければならない。

なお、占領のごく初期には右のような調達方式が確立されていなかつたので軍自らがその需要する物資を私人から直接強権的に徴発接収した事例も少くないが、それらについても、後日、それが軍の公的な需要に基く正式の徴発接収と認められる限り、政府は、当該物件について私人と貸借契約等を結び、その契約に基いて代償を支払つたり、損失を補償して解決している。

(2)  ところで、軍は歌舞練場(原告のいわれる広義の意味においても、また狭義の意味においても-以下同じ)について、占領目的達成の必要上、これを軍に提供せよとか、あるいはキャバレー等を経営して軍の利用に供せよというような命令ないし要求を、祗園に対しても、吉本に対しても、はた、また政府に対してもしたことはない。

もし仮に、軍が政府に対し、歌舞練場等でキャバレーを経営して軍の利用に提供せよと要求したとするなら(そのようなことは実際上考えられないところであるが)、恐らく政府は、祗園にその経営を委託するとか、祗園がそれを承諾しなければ政府が祗園から歌舞練場を借上げ、経験者を支配人に雇入れて政府自身の計算でキャバレーを経営するとか、あるいは、業者に経営を委託するとか、適宜の手段をとることになると想像される。しかしいずれにせよ、政府が他にその経営を委託するとすれば、その場合、政府はその業者との間に、収支の計算や損益の分配について詳細な取りきめをし、軍の要求がやめば直ちに委託契約を解除する等の約款を附するのが必然といえよう。政府が業者にキャバレーの経営を委託するのに、収支計算や損益分配について何らの取りきめもせず、業者の勝手な経営に放任し、収入があれば業者のもうけ放題とし、支出ないし損失は一切国において負担し補償するというような委託契約をすることが常識上考えられることであろうか。原告の主張によれば、あたかも、政府は祗園もしくは吉本と右のような内容の契約をしたことに等しいことになるのでなかろうか。

いうまでもなく、歌舞練場について、政府は、軍から右のような調達要求を受けたことはなく、もちろん祗園ないし吉本と右のような契約をしたこともない。前に述べたとおり、京都府当局は、軍の京都進駐に先立ち、その受入準備として特に婦女子の安全を擁護する一策として、祗園に対し、歌舞練場で軍将兵向きのキャバレー等を経営することを懇望しただけである。祗園としても、府民のための、府当局のたつての懇請とあれば無下にこれを拒絶することはできず、前述のような諸事情もあつて、しぶしぶかも知れないが、とも角もこれを承諾し、国の関与なしに、自己の計算で歌舞練場を吉本に賃貸し、吉本はまた、国に関係なく、自己の計算において軍将兵向きのキャバレーを経営したのである。もつとも、吉本がいかに軍将兵向きのキャバレーを経営しても、軍の承認がなければ(オフ・リミットとされれば)将兵はこれを利用することができない。

それで府当局は軍の京都進駐と同時に、吉本に協力して、軍が将兵に右キャバレーの利用を承認するよう(換言すれば将兵専用キャバレーとして公認するよう)軍に懇請し、若干のいきさつはあつたが結局その承認を得ることができたのである。かくして専用キャバレーとして軍の公認を受け、これを維持するためには、その経営の規模方法ないし衛生環境等について、ある程度軍の管理に服さなければならないことは当然のなりゆきというべきであろう。しかし吉本はキャバレーの経営を軍から強制的に命令されているわけではない。

経営難等の理由で、軍の満足する程度にその指示に従い得なければ、専用が解除され、将兵の出入禁止(オフ・リミット)となるだけである。

こうした専用キャバレーの経営は、単に本件歌舞練場に止まらず、全国では尨大な数にのぼる。もちろん、その経営にいたる動機においては、前述のように業者自ら積極的に希望して始めたものもあり、当局の勧奨、懇請にしぶしぶ応じて始めたものもあろう。しかしその経営形態においてはいずれも差異がない。業者はすべて国に関係なく自己の計算において経営するのであり、これを利用する軍人もそれぞれ自らの負担において利用するのである。その限りにおいては、併用キャバレーその他軍入も日本人も共に利用できる慰楽施設(映画館、飲食店等)と異るところはなない。かかる経営形態に調達はあり得ない、(吉岡章の証言)

もし、原告主張のように、祗園は、軍の調達命令に基く政府の要求に応じて歌舞練場を国に提供したというなら、祗園はこれを国もしくは軍に引渡さなければならない。しかるし、祗園は国にも軍にもこれを引渡していない。吉本に賃貸して吉本に引渡しているのである(仮に吉本が軍に引渡したものとしても、キャバレー経営の部分だけである)。

返還の場合も同じである。祗園が国との契約により歌舞練場を国に提供(賃貸)したというのなら、契約終了のとき、祗園は国にその返還を請求し、国は軍から返還を受けて祗園に返還せねばならないはずである。

本件の場合そのような関係に立つべきものでないことは上述のところから明らかであろう。当然のことながら、祗園は国に関係なく、吉本に対してその返還を請求し、その間に成立した前述の調停においては、返還期限を昭和二七年一月末日と協定し、一部は引続き安宅産業に使用させることを特約している。そのような関係の調整はあり得ない。

(一)  原・被告間に原告主張の如き損失補償契約は存在しない。

(1)  原告は、昭和二〇年九月末頃三好知事と祗園との間に、祗園は歌舞練場を軍の用に供するため、国に提供し、国はこれに対し損失を補償する旨の契約(損害の補償契約を含んだ賃貸借契約)が成立し、その引渡がなされたと主張する。

しかし、既に述べたところで明らかと考えるが、三好知事は祗園に対し、歌舞練場を国に提供することを求めたのではない。歌舞練場で軍将兵向きのキャバレー等を経営するよう懇請したのである。当然のことであるが、国の歌舞練場の引渡を受けたことはない。祗園は吉本に歌舞練場を賃貸し、吉本をして右 キャバレーを経営させたのである。

(2)  もともと、三好知事からの話で本件不動産がキャバレー、映画館等に転用されることになつたのは昭和二〇年九月上旬のことであり、この構想は府独自の考えに基くもので、進駐軍はもちろん、国からの指示は全くなかつたものである(二、(一)参照、甲第一三号証(三好知事の証明書)は乙第三一号証(三好知事の証明書)に照し、甲第一四号証(青木貞雄の証明書)は乙第五号証の一(同人の証言調書)等に照し信用できない)。

(3)  かりに三好知事が右の転用を懇望した際、そのために祗園に迷惑をかけないようにするとか、損失が生じたら補償するといつた趣旨の発言があつたとしても、そうした発言は必ずしも本件不動産についてのみなされたのではないのであつて、ひつきようするところ、府当局の勧奨懇請に応じてキャバレー等を経営する以上、これに要する資金のあつせんや改装資材の割当等にできるだけの便宜をはかつて迷惑をかけないようにし、損失の補償についても知事としてできるだけの努力をするといつた趣旨の政治的発言ないしは、同知事においてそのように努力すれば、後日国と祗園との間に正規に何らかの補償契約がなされるであろうとの希望的観測意見を述べたに止まるものと解すべきである。

そのことは損失補償の範囲、時期その他について何らの取きめをしていない点からも容易に観取しうるところであるが、なお、三好知事は国が補償しなければ府の金ででも補償してやるといつた趣旨の発言もされているように見える点また「総理大臣にいつても(本件を解決)するつもりであつた」という反面、昭和二〇年一〇月自ら内閣副書記官長になつたにも拘らず別段に解決の配慮をしていない点、更に祗園自身も前述のように昭和二八年頃まで何ら補償の請求ないし陳情をしなかつた点等を考えても、原告の主張する三好知事のいわゆる補償の約束が確たる法律的根拠をもつて法律的効果の発生を意図していたものでなく、単なる政治的発言ないしは希望的観測意見であつたことは明らかであろう。

(三)  スキャップインA七七について

スキャップインA七七は、調達が行われた者、換言すれば日本政府が支払義務を負う者に対し、その迅速な支払をせよという軍の政府に対する命令に過ぎない。

この命令により別段の支払義務が生ずるものではない。ところで本件不動産については調達が行われた事実がなく、政府は原告に対して補償義務を負わないこと前述のとおりであるからスキャップインA七七の適用される余地は全くない。

四、請求原因第六章の損害は争う。

中間判決によつても、被告が原告に対し補償すべき損失は、京都府知事らの要請と相当因果関係の存する限度内のものとされ、右要請というのは、歌舞練場で進駐軍将兵用のキャバレーを原告自ら経営するか、それができなければ、建物を提供して、その経営に向いた者に経営させることとすればよいというのである。

吉本に提供することとか、その提供の条件を特定して要請したわけではなく、右要請は、提供先、提供の方法、期間、反対給付その他について少しも原告を拘束するものではなかつたのである。とすれば、原告が右要請に基づいて建物を第三者に提供する場合は、当然、相当の資料を定めた賃貸借契約を締結し、専用キャバレーの必要がなくなつたときは、賃借人は直ちにこれを返還すること、その場合建物を原状に回復して返還するか原状回復費用を支払うこと、都踊りの公演ができる情勢になつたときはその間原告において所要の建物を使用して開催することができること等、できるだけ自己が損失を蒙らないような約束をすべきであり、もし吉本が原告主張のような莫大な損害を生ずる原告に不利な条件でなければ承諾しないというなら、他の者にもつと有利な条件で提供するとか或いは知事にその事情を告げて指示を求めるとか、いくらでも適宜の方法をとり得た筈である。のみならず、原告と吉本との間に締結された賃貸借契約の諸条件でなければ吉本が承諾する筈がなかつたとの事情が存在するわけでもない。しかるに原告は吉本との賃貸借契約において、賃料を一ケ年につき三〇万円(原告の主張によれば、形だけの特に少額の賃料)と定め、期間は一〇年、都踊りの公演については吉本に提供するのを本則とする等と約定し、返還の場合の原状回復義務については何らの定めをしていない(甲第一七号証の一、二)。被告はかような契約の締結には全く関与せず関知しないところであつて、かゝる契約の締結を要請したことはない。そして原告主張の損失はすべて原告が任意に右のような契約を締結したことに基因するものであるから、その損失は被告の要請とは相当因果関係がなく、被告において補償の責任を負うべきいわれはない。

この点に関し原告主張の各損失について詳述する。

1  調停金の支払(三、〇〇〇万円)

原告がこれを支払つたのは、原告が吉本との調停で任意にその支払を約束したことによるものである。原告は、右調停金の趣旨は吉本の支出した改装費を補償する趣旨であるというが、不動産提供の結果かゝる補償を支払う義務を生ずるいわれはない。

もともとキャバレーの経営は営利事業であり、吉本としては右のような改装費を投じてもそれだけの利益を挙げ得る見とおしの下にこれを支出したのであり、原告は右不動産の返還を受ける際原状回復を求める権利はあつても、かような改装費を補償する義務はない筈である。それにも拘らず原告が右のような調停をし改装費を補償したとすれば、吉本との賃貸借契約において期間を一〇年と定め、その期間満了前に返還を受けるためにしたものというほかはない。もし原告が知事の要請の趣旨に従い、専用キャバレーとして使用するためその必要のある間提供するという約旨で賃貸借契約をしたものであれば、このような調停金を支払う必要は全くなく、かえつて返還遅延に基づく損害賠償を請求できた筈である。いずれにせよこの金員の支払は、被告の全く関与しない賃貸借契約に基づき、被告の全く関与しない調停において原告が任意にその金額を定め、その支払を約束したことによるもので、被告の要請と相当因果関係があるとはいえない。

2  歌舞練場復元に要すべき費用(一億二、二八七万八三六〇円)

(一) 原告主張の復元工事に要する費用はもともと吉本に請求すべき筋合のものであり、もし吉本に請求できないとするなら、それは原告が吉本との調停でその請求権を放棄したものか、或は当初の賃貸借契約において吉本に対し原状回復を要しない自由勝手な改造毀損を許したことによるものというべく、いずれにしても右損失は被告の要請から通常生ずべきものとはいえない。

原告はキャバレー営業のため歌舞練場の大規模な改装を要することは当初より予想されていた旨主張するが、軍の命令による余儀ない範囲の改装なら格別、原状回復義務なしに吉本の自由な無制限の(都おどりに使用できなくなるような)改装を許して、その莫大な復元費用がすべて国の補償すべき損害となつたり、更には吉本の支出した改装費の補償分まで国の補償すべき損害となるというようなことはとうてい予想し得べき限りではない。

(二) 仮に歌舞練場の専用キャバレーへの転用の結果発生した復元工事費用の損失について国が補償責任を負うべきものであるとしても、その範囲は吉本が原告から引渡を受けたときの状態に比較して、時の経過による損傷以上の損傷が、発生した場合の損失に限られるべきである。しかるに吉本が引渡を受けたときにおける歌舞練場はすでに家屋としてもそのままでは使用に耐えぬほど傷んでおり、補修をしなければならなかつた程であるから転用によつて歌舞練場が損傷を蒙つたとは考えられないのみならず、補強の柱その他の諸施設において改良されたといゝえないわけではない。

3  椅子、机、襖等備品滅失による損害(一、〇〇〇万円)

かかる損失が被告の補償義務を負う範囲に属しないことは 敍上のことから明らかである。ことにこの種の損失については原告と吉本との賃貸借契約において吉本の負担に帰する旨特約されていたのであるから(甲第一七号証の一、一四項)、国がこれを補償すべき限りではない。なお備品の滅失が、原告主張のように契約にいわゆる自然の損傷にあたるべきいわれはない。又、建物を提供することによつて備品が滅失するというようなことは通常あり得ないことであり、予見できない特別事情による損害というほかない。

4  都おどり開催不能による損害(四五五九万三〇四二円)

(一) この種の損害が国の要請と相当因果関係がないことは敍上のところと同様である。ことに歌舞練場が専用キャバレーたることをやめた昭和二四年四月一日以降の分については、いかなる意味においても国が損失補償義務を負ういわれはない。けだし、京都府知事が要請したとされているのは専用キャバレーへの転用であつて、専用キャバレーでなくなつてからこの損失は国の要請と相当因果関係があるべき筈がないからである。

(二) 原告主張のように、都おどりの開催については、原告と吉本との間の賃貸借契約に特約があり、原告は占領軍の許可があつて、都おどりを開催できる場合も吉本において開催することを認め、その方法については両当事者の協議によることとしている(甲第一七号証の一、一六項、第一七号証の二、七項)のであり、即ち自ら都おどりの開催を放棄しているのである。三好知事はかゝる契約を要請したことはない。この損失が国の補償義務の範囲外であることは極めて明白である。もし原告が要請に基ずく損害の補償を国に請求しようというなら、かような損害の発生を防止するより、右とは逆の約定をすべきが当然であり、それを原告が右のような契約により自ら損害を招くということは到底予見できないものである。

(三) 右の特約や当時の社会情勢、建物の荒廃状況等にかんがみれば、昭和二一年ないし昭和二四年の間に都おどりの開催が可能であつたとは考えられず、又、右要請当時、その開催が可能であるとは予見し得ないものであつた。

5  調達中建物の使用不能になつたことによる損害(一億五〇四四万一、九三七円)

(一) 物を賃貸することによつてこれを使用し得ない損失は賃料によつて填補され損失を上廻る賃料によつて賃貸人は利益を得るのである。したがつて、物を賃貸することにより使用不能による損失が発生するのは、賃料の定めが低く定められることによるのである。本件の場合原告主張のような損失が発生したとするならば、原告が吉本と自由に締結した賃貸借契約においてことさら低い賃料を特約したことによるものであつて、その損失は原告が自ら招いたものというべく、国の要請と相当因果関係があるとはいえない。

(二) 仮に右の主張が認められないとしても、歌舞練場は昭和二〇年四月一日以降専用キャバレーたることをやめたのであるから、それ以後の損失についてはいかなる点から見ても国が補償責任を負うべきいわれはない。

(三) また専用キャバレーに使用しない土地建物(例えば日本人向の劇場、映画館として使用した弥栄会館等)に関する損失は全く被告の要請と関係がない。

6  借金の利子の一部(三、四八〇万六、三四九円)

原告の主張によれば、利子の発生原因たる債務は、1、2

に関するものであるがすでに1、2の損失が国の補償すべき範囲外である以上、その利子が国の補償範囲に含まれることはありえない。かりに1、2の損失が京都府知事の要請と相当因果関係があるとしても、常に1、2の支出のために他からの借入をするものということはできず、特別事情によつて生じたものといわざるを得ないところ、右事情については国においてこれを知るよしもなかつたのであるから、補償すべき損失の範囲とさるべきものではない。

五、請求原因第七章については、その二の内2、3、5の陳情の事実、6の調書作成の事実、7の申立の事実及び9の申請却下の事実は認めるが、その余の事実は認めない。

第四、被告の主張

一、仮に原告にその主張の損失が発生し被告にその補償義務があつたとしても、国に対する公法上の損失補償請求権は五年の時効により消滅するのであるから(会計法三〇条)、原告主張の損失補償請求権中発生後五年を経過したものについては、この点において原告の請求は失当である。

1  調停金の支払(三、〇〇〇万円)

原告の吉本に対する調停金三、〇〇〇万円の支払債務は昭和二六年一一月一九日調停成立と共に発生確定し、原告は被告に対しその補償請求権を行使し得たのであるから、同日より消滅時効が進行し、爾後五年の経過により消滅したものである。

2  歌舞練場復元に要すべき費用(一億二二八七万八三六〇円)

右損失は進駐軍用キャバレーとして吉本が改造工事をしたことによつて発生したものであり、おそくも昭和二〇年一二月吉本のキャバレー開業までの間に発生しているのであるから、原告はそのときから、又は少くとも専用キャバレーとして使用する必要がなくなつたときから被告にその補償請求権を行使し得たのである。従つてその後五年の経過によつて右損失補償請求権は時効により消滅しているのであつて、その後に提起された本訴請求は失当である。

復元工事は昭和二八年三月竣工しているけれども、転用による損失が現実になされた復元工事によつて発生するものでないことはいうまでもない。

3  椅子等備品滅失による損害(一、〇〇〇万円)

この補償請求権も右2と同様に時効によつて消滅した。

4  都おどり開催不能による損害(四、五五九万三、〇四二円)

この損失も発生後五年以上を経過していることは明らかであるから、その補償請求権も時効によつて消滅した。

5  調達中建物の使用不能による損害(一億五、〇四四万一、九三七円)

原告は昭和二七年一月末歌舞練場の引渡を受けこれを使用し得る状態となつたのであるから、それ以前の使用不能による損失補償請求権はすべて五年の経過により時効によつて消滅した。

二、本件においては、次のような理由により消滅時効の抗弁の提出は許されるものである。

1  原告の請求は、中間判決後の昭和三四年一一月一三日請求の趣旨を拡張する前は、時を異にして発生した数億円にのぼる各種の損害のうち百万円の補償を求めるというにあつて、請求の趣旨の特定を欠いていた。被告としては、右百万円の請求が前記の各損害のうちのどの部分の補償請求であるかによつて、それぞれ消滅時効の起算日-したがつて又、時効完成の成否を異にするので、それが特定されなければ時効の抗弁を主張することができない。それで被告は、原告に対しその特定を求めたのであるが、原告は中間判決後、鑑定により損害額が明確になつた後に確定するからとの理由でこれをこばみ、中間判決後に請求の趣旨を拡張すると共にこれを確定されたのである。

このように、消滅時効の起算日-したがつて又時効の完成日を異にする数種の損害補償請求権のうちのどの部分を請求するのか不明なうちに、請求の趣旨の一定を欠くまま中間判決がなされ、その後に趣旨が確定されて、それぞれの請求権につき時効の主張が可能となつた場合は、中間判決後に新たに生じた理由に基くものとして、中間判決後において消滅時効の抗弁をすることができるものといわなければならない。

2  中間判決は、原告主張の請求権をすべて排斥し、原告の主張しない、したがつてまた被告の全く予想しない国の適法行為(三好知事の強制的行為)を原因とする公法上の損失補償請求権を認めたのである。

このように当事者が主張せず中間判決ではじめて認定された請求権については中間判決後において時効の抗弁を提出することは許されるものといわなければならない。

3  本件中間判決は、民事訴訟法第一八四条後段にいわゆる原因判決でなく、同条前段所定の独立した攻撃又は防禦の方法についてした中間判決と解すべきものと考える。従つて原告主張の請求権が時効によつて消滅したことの抗弁を提出することは右中間判決の後においても妨げられないものというべきである。

(一) 原告は本訴において、被告に対し損害補償を請求する根拠として(イ)三好知事の賠償約束(ロ)の徴発調達の法理(ハ)スキャップインA七七の三を主張されたのであつて、これらはいずれも、独立した攻撃方法ということができる。そして裁判所は、昭和三十三年三月一日の口頭弁論期日において「被告に損害の補償責任があるかどうかにつき裁判をする」として弁論を終結し、同年七月十九日中間判決を言い渡された。その主文によれば、「本件につき被告は原告に対し損失補償の責任がある」とし、(右主文においては、特に、「本訴請求中原因は理由がある」旨の文言は削除されている)その理由中で、原告の主張にかゝる三個の攻撃方法をすべて排斥し、別個に三好知事の適法行為による損失補償責任を認めている。これによれば、右中間判決は、三好知事の適法行為(公権力の行使)をもつて、公法上の損失補償責任を発生せしめる一つの独立の攻撃方法と認め、これを肯定したものであつて、(それが、当事者の申立てない事項について判決したものかどうかはしばらくおく)いわゆる原因判決ではなく、独立した攻撃防禦方法に関する中間判決であるといわなければならない。

元来、原因判決は、請求原因中数額だけを分離して、請求権の発生、存続及び消滅事由のすべてについてこれを判断するものであり、原因判決後は請求権の発生のみならず、その存続消滅等の一切について原因判決前に主張しえた事由はすべてこれを主張しえないと解されるのであるから、裁判所としても、原因判決をするにあたつては、弁論の制限等の処置をもつてこれを当事者に予知させ、この点に関する弁論をつくさせるように注意すべきものであり、また、原因判決である以上、その主文において「原因は理由がある」旨を明示し、その拘束力を宣言すべきである。しかるに、本件訴訟においては右のような処置は講ぜられず、事実上、もつぱら原告主張のような請求権を発生せしめる事実が存したか否かについて審理を進められ、中間判決の主文においても上記のような表示がとられているのである。右中間判決が原因判決でないことを裏書きするに十分といえよう。

(二) いわゆる原因判決は、上記のように、数額の点を除いて原告の請求権の発生存続を肯定するものであつて、原因判決があつた以上、その後数額に関する事項が原告の有利に解決されれば当然原告勝訴の判決をすべきものであるから、例えば債務不履行による損害賠償請求の訴において原因判決をするには、単に原告主張の債務不履行の事実を判断するだけでなく、これによつて通常(必然的に)原告主張の損害を生ずるものであることを判断しなければならない。(大正九年(オ)第六二三号大正一〇、三、二四大判民録二七輯六五四頁参照)。これを本件についていえば、原告主張の補償約束ないし徴発調達(調達契約)の事実のほか、原告の主張(請求)にかかる損害が右補償約束の目的となつていることないしは調達と相当因果関係にあることを審理し、これを肯定するのでなければ、原因判決はできないものといわなければならない。

ところが、本件中間判決前においては、原告の請求(一〇〇万円)は、いかなる種類の損害について補償請求をするのか確定されていなかつたのである。

従つて、本件中間判決の趣旨も、単に三好知事の適法行為の事実を認め、もしこれと相当因果関係のある損失を原告がこうむつておれば被告にその補償責任がある(発生した)というにとどまり、決して、原告の請求にかゝる損害(一〇〇万円)が三好知事の適法行為と相当因果関係があることを判断しているものではない。

してみれば右中間判決は、原告の本件損害補償請求につき、損害の数額のみでなく、損害の発生をも度外視して、単に損失補償請求権を発生せしめる事実の存在を肯定したもので、結局、損失補償請求権の成否(独立した攻撃防禦の方法)について判断した中間判決と解すべきものと考える。

(三) いうまでもなく被告は、防禦方法として、まず、原告の前記三つの攻撃方法による損害補償請求権の発生(成立)を争つた。もちろん、原告の請求にかゝる損害が確定されれば、その損害の種類によつて、あるいは数額を争い(例えば復元費用)、あるいは数額はしいて争わないが因果関係の不存在を主張し(例えば調停金)、また訴訟提起より十年以上前に生じた損害の補償を請求するのであれば消滅時効を主張するつもりであつた(原告が本訴で主張される請求権は消滅時効十年にかかる私法上の請求権であつたと考える)。

原告主張の数億円にのぼる各種の損害は、このように原因事実との因果関係の有無濃淡あるいは消滅時効の起算日(従つて消滅時効の成否)を異にするので、原告の請求(一〇〇万円)がいかなる損害の補償を求めるにあるかが特定されなければ、被告としては当該損害の発生を争い、あるいはその補償請求権の消滅を主張することができなかつたのである。それで、被告は原告にその特定を求めたのであるが、前述のとおり、原告は、中間判決後鑑定により損害額が明確になつた後で特定するといわれ、裁判所もその申出の趣旨に添つて、とりあえず中間判決をもつて損害補償責任の有無について判断されたのである。このような段階でこのような状態のもとになされた本件中間判決は、損害補償請求権の成否-損害補償請求権を発生せしめる事実の存否について判断したもの、すなわち独の攻撃防禦方法についてした中間判決と解するのが正当であると考える。

4  仮に以上の主張が認められず、消滅時効の抗弁は、中間判決後には提出し得ないものであるとしてもそれは当初の請求にかゝる百万円の範囲に限られるものというべく中間判決後に新しく提起された百万円を超える部分については、被告は中間判決に拘束されることなく自由に攻撃防禦方法を提出し得るのであり、したがつて、その部分に関する消滅時効の抗弁は許されるものといわなければならない。

三1  原告は本訴債権につきしばしば催告をし、権利の上に眠れるものでなかつたから、本件債権は時効によつて消滅しない旨主張されるが、裁判外の催告による時効中断の効力は法令に定めるとおり(民法第一五三条、会計法第三一条)であるから、法定中断事由に当らない右のような催告があつたからといつて消滅時効にかゝらないということはできない。

2(イ)  原告は、本件損失補償請求権については、被告より原告に対し行政措置による支払が不能となつた旨を通知したときより時効は進行を始めると解すべきである旨主張されるが全く誤つている。被告は、もともと、三好知事らの補償契約に基く損失補償義務とか、あるいは中間判決を認められた公法上の損失補償義務があると考えたことはない。したがつて、被告からその支払が不能になつたというような通知をするいわれがない。被告は原告の補償申請によつてはじめてかような問題のあることを知り、慎重に調査検討したが、結局補償義務のないことが判明したので拒否したのである。かくしてもし原告の見解に従えば原告が補償の請求をせず、したがつて被告において支払拒絶の通知をしない限り、その請求権は求久に時効にかゝらないことになるのであつて、不合理極まる。

(ロ)  原告は本件損失補償請求権の時効は、不動産回収実現の時より進行する旨主張するが本件についてのみ特にかように解すべき根拠は全くない。原告主張の損害の大部分は不動産回収前に発生し、かつ原告に判明しているものである。

(ハ)  いうまでもなく時効の中断、時効の進行については法の定めるところであつて(民法第一五三条、第一六六条)、特別の規定なき限りこれとことなる解釈をなし得べき筋合ではない。信義則、公平等の一般概念はこのような場合にみだりに援用すべきものではない。

3(イ)  原告は補償申請がなされている間は時効が中断し、これが却下されたときから進行する旨主張されるが、このように解すべき法令等の根拠は全くない。

調達関係官庁は、駐留軍関係の調達に関し国民から金銭的請求があつた場合はその請求を認めるか否定するかを審査する権限を有し、本件の場合その審査をなしたものである。しかし本件の原告主張の補償申請は精々裁判外の意味をもつものではなく、その審査が裁判の係属と同視さるべき筋合ではない。

(ロ)  原告は、昭和三二年四月三〇日の訴訟提起により一〇〇円についてのみならず、その後の請求の趣旨拡張部分についても時効中断の効力がある旨主張されるが、そのしからざることはすでに判例の示すところである(最判昭和三四年二月二〇日、民集一三巻、二号二〇九頁)。原告は訴訟提起当時損害額が判明しなかつた旨主張するが、その前に被告は調達関係官庁に対して詳細な損害額をかかげて補償申請をしているというのであるから、主張自体に矛盾がある。

(ハ)  原告は、被告は債務を承認した旨主張するがこの点に関する原告の主張事実は否認する。かりに右のような事実があつたとしても、それは折衝過程における係官の個人的な希望的ないし観測的意見の開陳に過ぎないものというべく、国の代理人もしくは代表機関として正式に債務の承認をしたというような性質のものと解すべきではない。

4  原告は、被告は占領軍関係の損害について時効の利益を放棄し、時効を援用しないことを国民に誓つた旨主張される。

しかし、原告の右主張事実は否認する。のみならず、本件損失補償請求権は公法上の権利であるところ、公法上の債権は援用をまたず時効期間の経過とともに絶対的に消滅するものと解されているから右主張はそれ自体失当である。なお被告は右のような損失補償義務のないことを確信しているのであるから、証拠等の関係から不幸にしてその存在が認められる場合もおもむばかつて、仮定的に時効の抗弁を主張することは当然のことといえよう。

第五、被告の時効の主張に対する原告の反駁

一、本件につきなされた中間判決は請求の原因および数額につき争ある場合につきその原因を肯定した判決である。かかる原因判決はこの直前に接着する口頭弁論終結の時において数額の点のみを除き、請求権の存することを判定するのであつて、請求権が成立したこと、消滅その他の請求権否定事由のないこと(但し被告が請求権否定事由を抗弁として提出した場合に限る)を理由としてなされるものである。故に現在の本訴におけるが如き中間判決後の数額審理の段階においては、損害の数額のみが審理の対象となり、当事者において、請求権の成立阻害、消滅等の抗弁--殊に消滅時効の抗弁--を提出すること及び裁判所がこれを審理することは許されないのである(大判昭和八、七、四民集一二巻一七号一、七五二頁、コーゼンベルグ教科書四版二一七頁以下兼子、体系三一六頁、条解二巻六九頁)から中間判決後に提出された被告の時効の抗弁は失当である。

二、万一消滅時効の主張が許されるものとすれば、

(1)  原告は権利の上に眠れるものではなかつた。訴状第七章に記載せられた如く昭和二一年より昭和二九年二月までの間被告国に対し文書を以て少くも七回、口頭を以て数十回本件不動産提供による損害補償の申請をなしたのである(訴状第七章記載の甲号各証及び証人杉田亘の証言)。そしてこれに対し被告は昭和三〇年五月二七日理由なしとして却下の通達を原告に対しなした(訴状第七章二の8)。そして昭和三二年四月三〇日本訴提起があつた。従つて権利の上に眠れる者の権利を消滅せしめる時効制度の趣旨よりして本訴債権は時効にかゝらないのである。

(2)  時効の起算日その一

(イ) 民法は七〇九条以下に不法行為を規定しているが、不法行為には一般に故意過失と違法性を要するとせられている。

しかし場合により必ずしも過失を要しないとの無過失損害賠償責任論は古くより説かれるところであり、又違法性とは行為が具体的法規に明らかに違反し或は道義的に非難すべき場合に限らず、その他の場合でも、損害を賠償せしめないで置くことが法律感情に反する場合には、違法性ありと論ぜられている。

本件中間判決で認められた被告の責任は、まさに右述の損害を賠償せしめないで置くことが法感情に反する場合で、この点において私法上の不法行為と相似、相対するものであるから民法不法行為の規定を、合理的な限度において、準用すべきである。

民法七二四条においては消滅時効の起算日を「被害者カ損害及ヒ加害者ヲ知リタル時」と定めており、損害を知るとは損害の発生だけでなく加害行為が不法行為であり法律上責任のあることを知る意味であるから不法な仮処分の場合にはその不法なことが裁判で確定したときから時効が進行すると解せられている(大判大七、三、一五民録二四輯四九八頁、加藤、法律学全集、不法行為二六四頁)のであるから、この理は本件の場合に準用せらるべきであり、従つて本件の時効は本件につき国に賠償責任があるとの裁判が確定したときから進行すると解すべきである。

(ロ) 三好京都府知事、青木同警察部長等が祗園に本件歌舞練場の提供を承諾せしめるについて「再三にわたり原告代表者杉浦治郎右衛門を府庁に呼び出し、同人に対し国策に協力し提供せよ、府の要請に応じないでいれば直接進駐軍によつて接収される。これは国の必要で懇請するのであるから政府としては必ず迷惑はかけないようにする損害は補償するとの趣旨を申し述べた」ことは中間判決の認定するところである。そしてこの言葉が冗談でないことは勿論であり、国のかゝる要請によつて莫大の損害を生じたのであるから府(国)は原告の補償請求又は申請を待たずとも大蔵省内務省等に折衝し予算その他の措置を講じて原告に支払うべきであり、(中間判決はこの場合補償の契約を否定したが仮にこの見解を正当とするもかゝる場合被告よりまず支払或は行政措置による支払不能を通知する先給付責任を肯定すべきである)原告としても申請要求等をしなくとも補償して呉れるものと信ずるのが当然である。かゝる場合には債務者たる被告より原告に対し行政措置による支払が不能となつた旨を通知したときより消滅時効は進行を始めるものと解すべきである。

債務者たる被告国(国は品位を保ち国民の福祉を旨とし少くも相当の儀礼をわきまへた紳士として行動すべきである)において補償措置がどうなつたかについて法律上或は少くも常識上及び国たるの品位上通知責任を認むべき場合においては通知のあつたときを以て時効の起算点と解すべきは信義則の要請するところであると信ずる。そして右の如き通知は現在まで被告に対し為されたことはないから消滅時効は未だ進行を開始しない。又かゝる場合右の如き通知もせずして消滅時効を主張するは権利の濫用である。

(ハ) 自己(祗園)が所有し占有使用していた備品付の土地建物を他人(占領軍、国或は吉本)に心ならずして提供しその占有使用に任せたとき、これによつて生じた損害(本件訴訟物の如き)を請求し得る公法上或は私法上の権利が肯定せられこの債務者が右提供を強圧的に要請した者である場合に、その請求権の消滅時効は、自己がその不動産の回収に終始努力した場合においては、その占有回収実現の時より進行を開始するものと解すべきである。蓋しかゝる損害の多くは不動産を回収して後に始めて判明するものであり、又自己の手許に回収して後に始めてかゝる損害に注意をなすに至るは人間自然の性情であるから、かく解するにあらざれば被害者に酷であつて正義公平による法の運用とならないからである。

そして原告が本件不動産の占有を回収したのは昭和二七年一月三一日であるから、それより以前に発生した損害についてはこの時から消滅時効は進行すると解すべきである。

(3)  時効の起算日その二

(イ) 調停金の支払

原告が調停金を支払い従つて現実の損害を生じたのは昭和二七年一月二〇日ないし昭和二九年七月三一日(訴状六一頁)であるから、如何なる理由を以てするも、それ以前の調停成立日たる昭和二六年一一月一九日より時効が進行するとする被告の所論は首肯することを得ない。又調停金の支払は数回に分けて行われたのであるが、調停金補償請求権なる一個の権利であるから、最後の支払をした昭和二九年七月に至つて一個の三、〇〇〇万円の補償請求権が発生したのであり、従つて時効はこの時以前より進行すべきものではない。

(ロ) 歌舞練場復元に要すべき費用

いかなる理由によるも原告が工事費を支払い現実の損害(従つて損害補償請求権)を生じた昭和二七年八月ないし同二九年一二月より前に時効の進行するわけはない。又工事費の支払は、従つて現実の損害は、数十回に分けて発生したのであるが、復元工事費補償請求権なる一個の権利であるからその最後の支払をした昭和二九年一二月に至つて一億余円の一個の補償請求権が成立したのであり従つて時効はこの時以前より進行する理由はない。

(4)  時効の中断

(イ) 民法は、私的の請求については六ケ月間時効中断の効力を認めるのみであるが、裁判上の請求については裁判の確定まで中断の効力を認め、確定のときより改めて時効の進行が開始せられるものとしている(民法一五三条一五七条)。これは裁判中は国家権力によつて権利が審理せられているのでその審理中は時効を進行せしめず審理を終つてから改めて進行せしめることとしたものである。

この民法の法条法理は公法上の国家債務にして国家行政機関がその権限において存否の審査中であるものに準用すべきである。会計法三一条で時効につき民法を準用しているが右に述べた民法の精神もこの会計法三一条によつて準用せらるべきである。又若し然らずとすれば行政機関がその審理中であつて権利者が行政判定機関による判定を待つている間に消滅時効が完成することとなり、時効の進行を防ぐには常に行政審査と共に訴訟を提起する必要があることとなるのであつて、行政審査を軽からしめ安んじて行政審査を待つことができなくなるのである。

従つて本訴債権の時効は右(1) の補償申請によつてその都度中断せられ、昭和三〇年五月二七日の申請却下のときより改めて進行を開始したものである。

(ロ) 次に昭和三三年四月三〇日の本件訴訟提起によつて時効は中断せられたものである。尤も右訴訟は本訴債権数億円の内百万円についてのみ請求したものであるが、訴提起の時においてはその額判明せず裁判所の証拠調(鑑定等)と一層の調査をまつて始めて判明するものであつたため止むを得ず後日請求の拡張をなすことを留保して、百万円につき請求したものである(訴状八七頁)。そして昭和三四年一一月三日に至り額が判明したので請求の趣旨変更申立書を提出し現在の訴額となしたものである。債権の一部の裁判上の請求により債権の全部につき時効が中断するか否かは説の分れるところであり原告は肯定説を取るのであるが、仮に否定説を取るとするもそれは債権額が判明している場合に限るべきであり、然らざれば時効中断のため債権者に不能を要求することとなるであろう。

(ハ) 債務の承認原告の補償申請陳情により大阪調達局では調達本庁と連絡し三好元知事、吉本の林社長、祗園の理事者等を喚問審査した結果相当額の補償をする方針を決し昭和二九年一二月頃大阪調達局長安田清は祗園代理人中村豊一に対し「貴方の希望額にはならぬが或程度の補償をする」と述べ、調達本庁に対し補償する方針である旨の上申書を作成し、調達本庁に提出した。調達本庁ではこの方針を是とし、不動産部長長岡伊八は祗園代理人中村豊一に対し「相当額を補償する。具体的手続につき大蔵省と折衝する」と述べ、大蔵省と折衝したが、結局同省で反対され、遂に昭和三〇年四月調達庁としては前の方針を変更し申請を却下することとしたのである。右大阪調達局長及び調達庁不動産部長の祗園代理人中村豊一に対する言は債務の承認に外ならずこれより時効は中断せられたものである。この承認後調達庁が方針を変更したことは承認の効力には影響のないことである。

(5)  時効利益の放棄、時効援用権の放棄

被告国は昭和二七年までの特別調達庁の時代たるとその後の調達庁の時代たるとを問わずあらゆる時において国民に対し占領軍関係によつて損害を蒙つた者は申出るべくその損害を補償する旨告示し来つたのであつてその申出たものについて時効を援用し救済を拒否した例はない。即ち国は占領軍関係の損害については時効の利益を放棄し時効を援用せざることを国民に誓つたのである。又他の事件について時効を主張せず本件についてのみ首肯し得べき理由なくして時効を援用するのは国家として信義誠実に反し援用は無効である。

第六、証拠<省略>

理由

第一、一、被告は原告に対し京都府知事三好重夫らの歌舞練場提供に関する要請と相当因果関係にある損失を補償すべき義務がある。その理由は、本件につき昭和三三年七月一九日にした中間判決理由欄記載のとおりであるからこれを引用する。

二(一) 本件の中間判決で認定したとおり、昭和二〇年九月中祗園(京都八坂女紅場財団法人)は、その所有にかかる別紙第二ないし第四目録記載の各建物(但し別紙第四目録記載の建物通称弥栄会館の内、地階、一階、二階の各一部合計二七七坪四八五は、祗園が引続き事務所、倉庫として使用するためこれを除いた--この事実は成立に争いのない甲第二七号証と証人杉田亘の証言(第一回)によつて認められる。

なお原告は甲第二七号証添付図面第三号、第四号、第五号の各赤色部分の合計を二八七坪四八五というが右の誤算と思われる)を吉本興業合名会社の使用に委ね、吉本は別紙第二目録記載の建物(狭義の歌舞練場)に同年一二月二七日から進駐軍専用キャバレー「グランド京都」を開場し、別紙第三目録記載の建物(通称八坂クラブ)及び附属茶席はダンサーその他右キャバレー経営に従事する吉本の従業員の宿舎に使用し、弥栄会館は当初進駐軍専用の映画館とする予定であつたが、他に専用映画館ができたため一般日本人向きの映画館を開設した。

(二) 成立に争いのない甲第一八号証の一、二、甲第二七号証、証人杉田亘の証言(第一回)によれば、吉本は昭和二〇年一二月一五日狭義の歌舞練場の附属建物二階建休憩室一六二坪六合二勺、二階一三〇坪七合四勺の一階の内、二三坪八合五勺を除く部分一三八坪七合七勺を訴外安宅産業株式会社に権利金二〇〇、〇〇〇円、賃料一ケ月一〇、〇〇〇円、期間一〇年の定めで転貸し、安宅はその一部においてショールームの名で進駐軍向け雑貨及び貿易品の展示販売を行い、一部においてプルニエの名称で同じく進駐軍向けレストランを経営したことが認められる。

(三) 右甲第二七号証及び証人中島勝蔵の証言(第一回)によれば、その後祗園は吉本に交渉した結果、昭和二二年中、八坂クラブの内主たる建物の一階の一部、引続きダンサー検診のための医務室として必要とされた部分一三坪八合六勺と通称茶席といわれる木造瓦葺平家建居宅建坪三八坪とを除くその他の部分の返還を受けた。

三(一) それにより以前歌舞練場提供後の昭和二〇年一〇月三〇日祗園と吉本の間で、中間判決に認定のとおり賃料名義で一年につき三〇〇、〇〇〇円を支払うこととの契約が成立し、合わせて改装費用の負担等に関する定めをなしたのであり、なお前掲甲第一七号証の一によりその契約期間は一〇年と定めたことが認められるのであるが、右賃料名義の金額が当時の歌舞練場の相当賃料に比して遙かに低額であつて吉本の占有についての正当な対価と認められないものであつたことは、前項(二)の安宅産業への転貸の条件からも、又、鑑定人吉富正雄及び同寺井幸夫の各鑑定の結果からも容易に認め得るところである。

証人中島勝蔵及び同杉田亘の各証言(第一回)によれば、祗園は吉本から右賃料名義により昭和二〇年と昭和二一年に各三〇〇、〇〇〇円ずつ、昭和二二年に二五〇、〇〇〇円(前項(三)の八坂クラブの返還により減額)を受領したことが認められるが、中間判決認定のとおり、本件提出に当り祗園は弥栄会館の改修費用等に百数十万円を負担しているので、これを差引けば、提供により何ら対価もしくは損失の填補と目すべきものを受領していないものというべきである。

(二) ところで被告は、原告主張の各損失は財団法人が吉本との間に任意に右賃料、期間、改装費の負担等について自己に不利な条項の賃貸借契約を締結したことによるものであると主張する。しかし証人三好重夫、同中島勝蔵(第一回)、同沢田連男の各証言及び原告代表者尋問の結果によれば、一部中間判決に認定されたとおり、当初三好知事らは祗園自らが歌舞練場においてキャバレーを経営することを要請したが、祗園はキャバレー経営の経験もないからとて断り建物の提供のみを承諾したこと、そこで祗園側と府側が他にその経営を委ね得べき者を物色した結果、その適格者としては松竹株式会社と吉本のみが候補にのぼつたが、松竹に関しては祗園が従前他のことで若干紛争があつたためこれを肯んぜず、結局吉本に交渉し、府からも吉本に要請し、吉本も当初改装費用と経験に乏しいことから躊躇していたが、遂にこれを承諾するに至つたこと、そして提供後も吉本側は祗園側に対し常々祗園のなすべきことを代つてしてやつているのだということでこれを恩に着せるような言動があつたことが認められる。このような経緯からみると祗園と吉本との間の契約は決して任意の賃貸借といゝ得るものではなく、仮に祗園が吉本に対し前述のような契約内容よりも自己に有利な諸条件を提示して正当な対価の支払を内容とする賃貸借契約の締結を求めたとしても、吉本が容易にこれを承諾する筈のない状況にあつたことを推認し得るのであり、前記形ばかりの賃貸借契約の締結は吉本に建物を引渡した後の昭和二〇年一〇月三〇日であるが、吉本が仮に全く賃貸借契約の締結、賃料名義の金員の支払に応じなかつたとしても、祗園としては提供を中止し建物の返還を求めることができるわけのものでもなく、又、当初から吉本に使用させると他の者に使用させるとの自由を有していたものでもないことが認められるのである。

証人林正之助の証言中右認定に反する部分は措信し得ない。してみれば、祗園が進駐軍用娯楽施設に供するため吉本に歌舞練場を使用させた結果、右賃貸借と称する契約によつて、填補し得ない損失が生じたとすれば、それは三好知事らの要請と因果関係があるというに妨げないものである。

第二、そこで原告主張の各損失につき、その発生と被告の補償義務の成否を検討する。

一、調停金の支払(請求原因第六章二1)

祗園が昭和二四年三月吉本を相手として歌舞練場明渡請求の訴訟を提起し、右訴訟において昭和二六年一一月一九日、祗園が吉本に三〇、〇〇〇、〇〇〇円を支払い歌舞練場の返還を受けることを内容とする調停が成立したことは当事者間に争いがない。

よつてその成立の経緯を検討するに、成立に争いのない甲第一五号証、甲第二九号証、原本の存在及び成立につき争いのない乙第一ないし第三号証、乙第六号証の二、乙第七号証、前掲甲第一八号証の一、甲第二七号証、証人杉田亘の証言(第一回)から成立の真正を認められる甲第二三、第二四号証、証人中島勝蔵の証言(第一回)から成立の真正を認められる甲第二五、第二六号証、証人田村義雄の証言及び証人中島の証言から成立の真正を認められる甲第二八号証、右証人田村、同中島、同杉田の右各証言並びに証人椹木義雄の証言を綜合すると次のような事実が認められる。吉本は、物価謄貴と進駐軍将兵の来場者の減少等によりキャバレーグランド京都の経営が次第に困難に陥り、軍憲兵司令部に対し入場料、ダンス料金等の値上げ許可をしばしば陳情したが、なかなか希望を容れられなかつた。そこで吉本は更に軍専用の解除を申請した結果、昭和二四年四月から日本人のキャバレーへの入場を許可する旨憲兵隊より申渡され、軍将兵とともに一般の日本人をも入場させ且つこれに対しては自由に料金を定め得ることとなつたが、その後も一般白本人の入場者は全体の約三割にとゞまり経営は好転しなかつた。なおその間吉本興業合名会社は昭和二三年七月頃解散し、その営業及び財産一切を吉本興業株式会社に譲渡し、従つて歌舞練場の占有及び運営もこれに移転したが、右両会社は共に林正之助が主宰し、人的構成、事業目的を同じくする、実体は同一の会社であつた。一方祗園側では、世情が安定するにつれ京都の観光のためにも後述の都おどりを復活する必要があつて、歌舞練場の占有回復を強く希望し、吉本にも返還について交渉をし、京都府知事らに対しその返還の斡旋方の陳情等をして居り、又、吉本が右のようにキャバレーの軍専用の解除を申請している事実を知るや、当初吉本の使用を許諾した趣旨に違反するわけであるので、専用解除後も吉本に使用させておくことは益々将来の返還を困難ならしめると考え、第一軍政部に対し日本人の入場を許可しないよう陳情する等していた。

そして昭和二四年三月財団法人が原告となり、吉本興業株式会社と前記ショールーム及びプルニエの経営名義人柴原政一を相手方として、本件建物中各占有部分の明渡を求める訴を京都地方裁判所に提起した(同庁昭和二四年(ワ)第一八七号)。その請求原因の要旨は、財団法人が吉本興業合名会社に建物を賃貸したのに、吉本興業株式会社及び柴原が占有しているのは無断転貸であるから賃貸借を解除するということであり、これに対し吉本は、合名会社と株式会社は実体は同一であり、賃借権の譲渡については承諾を得ており、又、吉本は本件建物に千数百万円(当時の時価で約五〇、〇〇〇、〇〇〇円)の改装費を投じているので、これを弁償しないで返還を求めるのは権利の濫用である旨主張し、柴原は、転借しているのは安宅産業株式会社であり、柴原はその使用人であつて営業許可の便宜上経営名義人となつているに過ぎず、安宅産業の転借には祗園の承諾を得た旨主張した。

右訴訟において、昭和二四年九月から同年一二月にかけて調停が行われ、一旦不調に終つたが、昭和二五年中再び調停に付され、調停委員として元京都府副知事田村義雄、京都商工会議所会頭中野植一郎、京都観光連盟会長富森吉次郎、日本銀行京都支店長藤岡某(但し最初のみ)が関与した。この調停において、吉本は、前記祗園との賃貸借契約において期間を一〇年と定められてはいたが、前述のようにキャバレー経営が必ずしも思わしくない事情等もあつて、敢て残存期間の建物使用に固執する態度は出ず、これを返還することを承諾した。しかし、吉本は、本件建物の使用を始めるに当り広範な改装工事を行い、その後も補修等をして、これに合計一五、〇〇〇、〇〇〇円以上の費用を投じ、その他にもキャバレーの経営自体から損失を生じており、元来祗園が歌舞練場でキャバレーを経営するよう要請されたのに、その能力がないため、祗園に懇請されて代つてキャバレー経営を引受け、そのために改装費を支出したのであるから、右改装費は祗園が償還すべきものであるとし、その後の物価の謄貴を斟酌して右金額の三倍の四五、〇〇〇、〇〇〇円の支払を求めた。これに対し祗園は、右一五、〇〇〇、〇〇〇円の支出は認めるが、財政難でもあり、今後都おどりに使用し得るようにするために更に莫大な改装費を要するので、右一五、〇〇〇、〇〇〇円を超える支払には応ぜられない旨述べた。

かくて双方容易に譲歩せず一年余に亘り調停期日を繰返した末、ようやく調停委員の勧告に応じ、三〇、〇〇〇、〇〇〇円の支払をもつて妥協し、前記日時調停が成立した。調停には新たに設立された学校法人八坂女紅場学園が利害関係人として参加し、吉本は祗園(財団法人及び学校法人)に対し本件建物中この占有部分全部を昭和二七年一月末日までに明渡し、祗園は三〇、〇〇〇、〇〇〇円を支払うことと定め別に財団法人及び学校法人は、ショールーム及びプルニエ部分を利害関係人株式会社京都プルニエ(安宅産業の後身と窺われる)に対し、右部分に対する固定資産税の一ケ月分及びその一〇分の一に相当する金額を一ケ月の賃料として支払う約束で、昭和三〇年一二月一五日まで賃貸することと定めた。

もつとも調停調書上、右三〇、〇〇〇、〇〇〇円については、内一五、一五〇、〇〇〇円は立退料並びに造作及び設備等の譲渡代金として、一四、八五〇、〇〇〇円は弥栄会館につき吉本が賃借権残存期間内営業を廃止することによる損害金、造作及び設備の右期間内の賃料並びに期間満了後におけるその譲渡代金の合計額、前記引渡期日より賃借権残存期間昭和三〇年一〇月三〇日まで一ケ月三三〇、〇〇〇円の割合による金員としてそれぞれ表示されているが、これは吉本が税金の負担の軽減をはかりかかる形式をとることを希望したためであつて、前記のとおり実際は改装費の補償の趣旨で支払を約したものであつた。

なお、祗園は当時既に国に対し提供により蒙つた損失の補償を求める意図を有していたけれども、その解決が早急に得られる見込は全くなかつたので、自己の努力によつて取りあえず建物の占有回復を図る方針を立て、これに国を関与させても事態が自己に有利に進展するとは考えずかえつて調停成立が遅延することを恐れたため、(本件弁論の趣旨によつても、その際国の関与があれば祗園側に有利に解決されたであろうとはとても推測できないところである。)国との関係の処理は後廻しにし、国を利害関係人として参加させることをせずに、先づ吉本との間に建物の引渡を受けるための調停を成立させたものであり、一方調停成立後昭和二七年一月二〇日吉本をして祗園に対し、右支払に関し、後日祗園が政府より補償を受けた場合その補償金は祗園に帰属することに異議はない旨約させた。

学校法人はこの調停の趣旨に従い昭和二七年一月二〇日から昭和二九年七月三一日までの間六回に亘つて合計三〇、〇〇〇、〇〇〇円の支払を了し、吉本は軍の承認を得てキャバレー等の営業を廃し、本件建物中その占有部分全部を昭和二七年一月末日祗園に引渡したことが認められる。

証人林正之助の証言中右認定に反する部分は措信し得ず、他にこれを覆えすに足る証拠はない。

右事実によれば、右調停金の支払は、建物の引渡を得るために本件歌舞練場を進駐軍専用キャバレーに転用するにつき要した改装費を負担したわけであるから、祗園が提供によつて直接蒙つた損害であるというべきであり、かつ一旦提供した歌舞練場の占有を回復するためにやむを得なかつた措置であるし、その金額は不当に多額のものでないことは右の経緯から明らかである。

したがつて、かかる出損は知事の提供要請から通常生ずべき損害というべきである。

被告は原告が右調停金を義務なくして自己の利益のために勝手に支払つたものと主張するが、前述の紛争の実態に照し和解による支払義務の負担が義務なくされたと見ることができないばかりでなく、法律上も祗園の吉本に対する改装費の負担義務を否定すべき根拠はない。なお前掲甲第一七号証の一の第四項において改装に要する費用は一切吉本が負担する旨定められているが、前掲証人中島の証言(第一回)によれば右約定は差当り吉本が右費用を支出するという趣旨に過ぎず、両者ともいずれは祗園又は吉本のどちらかに国から補償があることを期待し、最終的な負担の帰属についてまでは約定しなかつたことが認められるので、右認定の妨げとなるものではない。

してみれば被告は右三〇、〇〇〇、〇〇〇円についてその補償の義務があるわけである。

二、歌舞練場復元に要した又は要すべき費用(訴訟原因第六章二2)

(一)  最初に、法律上純損失であるか否かは暫く置き、原告主張の各金員の支出について検討する。証人中島勝蔵(第一、二回)及び同杉田亘(第一回)の各証言によれば、歌舞練場(狭義)はもともと都おどり、温習会等に使用するため大正五年頃建築した建物で、本件提供の結果吉本がこれをキャバレーとするために改装したので、祗園において再び都おどり等に使用できるような状態にするため大規模な改造改装工事を必要とし、主体工事を大成建設に請負わせ昭和二七年九月着工し、昭和二八年三月完成した。その費用として祗園の支出した額は次のとおりである。

(1)  証人中川卯逸の証言(第一回)から成立の真正を認められる甲第三九、第四〇号証、第五九号証の一、二、第六〇号証の一ないし一八及び右証言によれば祗園が右工事請負により大成建設に支払うべき代金は合計九九、六一七、九〇二円であり、これに対し祗園は、昭和二七年八月二九日から昭和二九年一二月三〇日にかけて一八回に亘り、右甲第六〇号証の一ないし一八の合計額九八、六一七、九〇二円を支払い、差額一、〇〇〇、〇〇〇円は値引きされたので(原告の請求中より右値引分は差引かれるべきである)、その内電気配管、配線その他電気関係工事分一六、五〇〇、〇〇〇円を差引き、建物自体の工事に要した費用は八二、一一七、九〇二円であることが認められる。

(2)  右証人中川の証言から成立の真正を認められる甲第六一号証の一ないし七、六二号証の一、二、第六三号証の一ないし三及び右証言によれば、祗園は調光器、照明器具等購入代金としてバグナル株式会社に七、九三一、六〇〇円、蓋電池購入代金として湯浅蓋電池株式会社に二、二六〇、三五〇円、電気設備工事代金としてマツダ合名会社に二、〇三一、一九七円合計一二、二二三、一四七円を昭和二七年一二月から昭和二九年六月までの間に支払つていることが認められ、これに右(1) 記載の大成建設のなした電気関係工事分一六、五〇〇、〇〇〇円を加えるとその合計額は二八、七二三、一四七円となる。

(3)  右証人中川の証言から成立の真正を認められる甲第六四ないし第六七号証の各一ないし五、甲第六八号証の一ないし四及び右証言によれば、祗園は、

(イ) 昭和二八年六月九日高島屋に対し劇場内の敷物購入代金及びその敷設費用として一、〇一〇、三六九円六〇銭、同日補助椅子購入代金として二二五、〇〇〇円

(ロ) 昭和二八年三月十八日大丸に対し椅子購入代金一九二、〇〇〇円、長椅子張替代金四九、八〇〇円を含めホール改装、室内飾内、リノタイル敷込工事費用として五〇〇、〇〇〇円、同年七月六日大丸に対し絨たん敷込工事代金等三、一〇〇、三〇三円五〇銭(但しこの内には椅子修理代金三〇八、〇〇〇円、椅子購入代金六四、五〇〇円案内所家具、灰皿セット、ドアーマットその他の家具代金、カーテン修理、玄関幕、紋付、布団等の代金等を含む)

(ハ) 昭和二八年一月三〇日から同年三月一八日にかけ伊藤久吉に対し舞台装置工事費として一、五〇〇、〇〇〇円

(ニ) 同年二月一七日から同年四月二八日にかけつな辰有限会社近江屋商店に対し舞台装置に使用するつなの購入代金として一、一五一、一四〇円

(ホ) 同年一〇月三〇日から同年一二月三〇日にかけ神野工業株式会社に対し暖房設備工事代金として、三、五五〇、〇〇〇円

をそれぞれ支払つたことが認められ、右合計額は一一、〇三六、八一三円(円以下切捨、原告は一一、〇三七、三一一円というが誤算と思われる)である。

(二)  ところで祗園が右工事に支出した費用をもつて損失といえるためには、吉本から占有を回復した当時の建物の状態から、吉本に提供する直前の状態に復旧するために要した又は要すべき費用でなければならず、吉本が施した改装工事の結果を祗園において利用しうる部分又は祗園のした復元工事により提供直前よりも改良された部分があれば、その工事費用は現実に支出した工事代金から差引かれるべきものである。そこで従前の歌舞練場の状況と工事の結果とを比較検討するに、証人中島勝蔵の証言(第一回)により昭和一九年当時の歌舞練場の図面であることが認められる検甲第一ないし第四号証、右証言により新築当時の歌舞練場の写真であることが認められる検甲第八ないし第一一号証、証人杉田亘の証言(第一回)により昭和二三年頃吉本がキャバレー経営中の歌舞練場の図面であることが認められる検甲第五ないし第七号証、右証言により同じくキャバレー経営中の歌舞練場の写真であることが認められる検甲第一二ないし第一五号証、右証言により祗園が吉本から返還を受けた当時の歌舞練場の写真であることが認められる検甲第一六ないし第二三号証、検証の結果と弁論の趣旨により祗園のした復元工事完成後の歌舞練場の写真であることが認められる検甲第二四ないし第二六号証、右証人中島(第一回)、同杉田(第一回)、証人山口豊次郎、同林正之助の各証言(但しいずれも後掲措信しない部分を除く)、原告代表者尋問の結果並びに検証の結果を総合すると、次の事実が認められる。

歌舞練場は大正五年頃都おどり等に使用する目的で建築されたもので、藤原時代末期ないし鎌倉時代初期当時の純日本式建築様式による大講堂を主体とし、建築材料はすべて高級品を用い、舞台のかまちは長さ一〇数間の一本の檜材を通したもので珍重さるべきものであり、観客席、玄関等の天井は檜材漆塗の格天井でその一部約五〇坪には美術的価値の優れた華麗な絵が描かれ、その他の装飾、建具備品等も豪華を極め、ことに照明等の電気設備は日本でも有数と称されるものであり、観客席は畳敷で、取外しの容易な桝席となつていた。しかし戦時中三年間ほどで都おどりを中止し、ここを風船爆弾製造工場に使用したため、吉本に引渡す当時は、観客席の内約三分の一の床を外し床下の地面に直径約三間深さ約一間半の丸い穴が掘つてあつたが、その他の建物の構造には特段の変化はなかつた。提供後吉本のした改装工事においては、格天井を外してベニヤ板ペンキ塗の天井とし、従前架設の電気工事はすべて取外して新たな設備をし、花道を取外し、柱を数本抜き替え、舞台は前記かまちを含めて前の方巾二間を切り取りその他の部分を約一尺五寸低くし、下段約一〇〇坪上段約七〇坪のダンス用フロアーと酒席を作り、建物の他の一部を改造してオフィサールーム、ティールーム、クロークルーム等を作り、従来の大理石造りの便所をタイル張り洋式便所とし、渡り廊下を撤去し、庭を改造し、舞台裏手の空地に変電室及び暖房機関室を新設する等の工事をした。しかし祗園が返還を受けた後においては、吉本のした改装工事中そのまゝで利用できるものはほとんどなく、ほゞ旧の状態に復することを目標にして大巾な復元工事を施し前記の金額を支出し、電気照明設備を新たにやり直さねばならず、舞台装置も再現しなければならなかつた。なお工事の結果によつても舞台のかまちは、以前の一本檜とすることができず、三本を使つたので相当の価値減があるが(以前の一本檜は工事当時の価格で六〇〇、〇〇〇円以上である)、便所はタイル張り洋式便所のまゝとし、これは大理石造のものより材料の価格は低いが清潔になつたのでほとんど価格の高低はないものである。一方観客席は椅子席とし、これは畳敷に比して高価であり、吉本が前記のように柱を抜いたため建物の補強に新たに鉄骨の支柱を入れることを要し、観客席後側の部分一階一二、三坪地階約四三坪を建増し且つ一部を鉄筋コンクリートとし、二階は全く模様替する等その他相当の広範囲に亘り提供前より変更し又は模様替した部分がある。

このような事実が認められ、右各証言中右認定に反する部分は措信し得ない。

(三)(1)  建物工事についていえば、右の次第であつて提供前に比し復元工事の結果多少なりとも模様替又は改善された部分がある以上、復元工事に支払つた金額をもつて直ちに損失と断ずることはできないものである。ことに前述のように歌舞練場は大正五年に建築され本件提供当時既に三〇年を経過している木造建物であるから、使用方法の如何にかかわらず時の経過に従い時折の補修を要することは常識的にも考えられるところであり、ことに右認定のように提供前床を抜いて風船爆弾製作の作業所に使用されていた事実と証人林正之助の証言により、建物の構造自体に何らの変化はなくとも或る程度の損傷があつたことは推測するに難くないので、仮に提供がなかつたとしても戦後都おどりを毎年開催するためには早晩或程度の改修工事を必要としたことが考えられるのであつて、原告の現実に支出した工事費用中には、このように時日の経過等により当然なさるべき補修改修工事の費用相当額をも含むものと推認される。(他人に建物を使用させる場合、かかる通常の補修費は適正額の賃料を受領することにより填補されるのであり、本件において原告は別途に賃料相当額の支払を請求しているのである。)このような当然必要とすべかりし補修費用は損失額の認定に当り控除さるべきものである。

そこで証人山口豊次郎の証言によれば、甲第四四号証は、右復元工事を請負つた大成建設株式会社の社員であり、工事に終始関与して工事の実際を熟知する同人が工事完成後の昭和二九年一一月祗園の依頼により、工事による増価部分を除き戦前の状態に復元するに要すべき工事費用のみを昭和二七年当時の時価で見積つた見積書であることが認められ、これによれば復元に要すべき費用は二七、八七八、四三五円というものであるが、その内電気設備の工事は電灯工事費五〇八、〇〇〇円を計上するのみで、右証言によれば前記マツダ合名会社等のした電気工事はわからないので除いているというのであり、証人中島勝蔵の証言(第二回)に照らしても、右見積にかゝる電灯工事費用も最低限度必要な電気関係の工事費用のすべてではないことが認められるので、電気工事費の点は暫く置くとして、これを除く建物自体の工事費用についてみると、その見積額は二七、三七〇、四三五円となる。もつとも右証人山口の証言によると右見積においては前記舞台かまちの価値減を考慮せず、格天井の漆塗り、玄関の格天井等の費用を見積つていないのであり又吉本が柱を抜いたため必要となつた鉄骨柱による補強の費用も提供の結果必要を生じた工事費用といい得るわけであるが、その金額を認むべき証拠はない。

そして他面この見積は、右に述べた時日の経過による自然の損傷等に伴い当然支出すべかりし修繕費の控除は考慮に入れていないものと窺われるのであるが、鑑定人寺井幸夫の鑑定によれば(賃料相当額算定の基礎としての意味で計上しているのではあるが)歌舞練場につき昭和二一年から昭和二七年までの間に要すべき修繕費は二、五二四、九〇四円に達することが認められるので、これを右見積額二 七、三七〇、四三五円より控除するのが相当である。然るときは復元に要すべき費用は二四、八四五、五三一円となる。

復元のためのみに右金額を超える金額を必要としたことを認めるべき証拠は他にない。

(2)  右に述べたとおり祗園は、電気関係の施設については返還後全面的な工事を必要とし、右甲第四四号証中電気工事に関する見積りは低額に失するものである。そして(一)(二)記載の支出の内復元工事の範囲を超える部分が存することを窺わせるような証拠は何もないので、右金額合計二八、七二三、一四七円はすべて歌舞練場提供の結果生じた損失と推定すべきである。

(3)  前記(一)(三)記載の場内装飾等に関する支出の内(ハ)舞台装置工事代金一、五〇〇、〇〇〇円、(ニ)舞台装置用つな代金一、一五一、一四〇円は、いずれもこれにより提供前より改善された部分が存在することを窺い得るような証拠はないので、提供の結果舞台装置が改装されたために模様替又は減失したものの復元に必要な費用即ち提供によつて生じた損失と認むべきである。

しかし、その他の支出について検討するに、(イ)高島屋への支払と(ロ)大丸への支払とには、前述のように椅子買受代金、椅子修理張替代金、その他の家具代金等を含み、後記三のように本件歌舞練場を吉本に使用させるに当りそれに伴い家具備品等をも使用させていたとすれば、その減失、破損等による損害は、提供によつて蒙つた損失となり得るものであるが、原告は別途に(請求原因第六章二3)その損失を請求しているところであつて、原告の分類に従えば椅子の修理費用等はこれに含まれるものというべきであり新品の椅子その他の家具、紋付、布団等の購入代金はいかなる意味でもこれを復元工事といゝ得るものではない。

次に、右(イ)及び(ロ)の内その余の金員は前記のとおり絨たんその他の敷物の購入代金、その敷込工事費用、その他室内飾付費用等であるが、これを損失といえるためには、通常の使用によつて生ずべき自然の損耗の程度を超えて特別の破損滅失等を生じた場合に、提供当時の状態に復するために要した費用でなければならないところ、提供当時の敷物、場内装飾等の状態を窺い得る資料もなく、吉本に使用させた結果特別の破損、滅失を生じた事実を認むべき証拠もなく、要するに右支出にかゝる金員が復元に要すべき費用であることを認めることはできないから、この点の原告の請求は失当である。

更に原告は(ホ)暖房設備工事費用三、五五〇、〇〇〇円の支払を損失と主張するけれども、歌舞練場提供前これに暖房設備が存在し、原告のした右暖房工事が、その復元のための工事がその復元のための工事であることを認むべき証拠はないので、この点の主張も失当である。

従つて本項の支出中原告が被告に対し請求し得べき損失は右(ハ)(ニ)の合計二、六五一、一四〇円である。

(四)  右(三)(1) (2) (3) の合計額は五六、二一九、八一八円となる。

そして前述のような歌舞練場提供の経緯からして、祗園が吉本に対し返還の場合の原状回復を要求しもしくはその費用の支払を請求できる立場には当初からなかつたことは明らかであるし、前述のような日本風劇場である歌舞練場を全く用途を異にする進駐軍将兵向きキャバレーとするには、そのまゝでは都おどりに使用できなくなる程の大規模な改装が避け難いことと認められるので、右復元工事に要した費用はすべて京都府知事らの提供の要請から通常生ずべき又は当然予見し得べかりし損害であつて、被告においてこれを賠償すべきものである。

三、椅子机襖等備品滅失による損害(請求原因第六章二3)

証人杉田亘の証言(第一回)から成立の真正を認められる甲第四五ないし第四七号証及び右証言によれば、祗園は、本件歌舞練場提供に当り、その中にあつた椅子、机、衝立、火鉢等家具什器六〇〇点余をキャバレー営業の使用に供するため吉本に貸与したが、歌舞練場の返還を受けた当時においてはその大部分は滅失し又は使用し得ないほどに破損していたことが認められる。そして京都府知事らが祗園に歌舞練場の提供を懇請するに当り備品付きのまゝ提供するように要請した事実を認むべき証拠はないが、右のようにキャバレー営業に必要なものとして建物と共に吉本に引渡したものであるならば、その破損滅失による損害は提供と相当因果関係があるものというに妨げない。

なお前記祗園吉本間の賃貸借契約書(甲第一七号証の一)の一四項に「(祗園が吉本に提供した)備品並びに什器に対し特別なる破損又は紛失等をした場合は吉本においてこれを弁償する」とあるが、証人中島勝蔵の証言(第一回)によれば、右条項は破損紛失等の場合、吉本はその修理又は代替の提供を祗園に請求することなく、自らの負担で修理等して使うという意味にとどまり、祗園が吉本に対し紛失破損による損害を請求できる趣旨を含むものでないことが認められるから、国の賠償義務に消長を来すべきものではない。

しかし損害額についてみるに、証人杉田は右証言において、その価格は全体で昭和二七年当時の物価に換算して一〇、〇〇〇、〇〇〇円に上る旨述べているが、個々各種の物品毎に価格を定めることもせず、その素材、品質、新旧の程度等についても品質は上等であるというだけで具体的な評価を示すこともせず、要するに大ざつぱな感じであると思われ、このように算定するに至つた理由に何ら首肯するものを見出し難いので、これを採用することはできず、他にその数額を認定し得る証拠はない。なお前記二、(一)(三)記載の(イ)及び(ロ)の金員の内には椅子の修理張替の費用、椅子その他の家具の買受代金等が計上されているが、これが右提供にかゝる家具類の破損滅失等の結果支出を要した費用であることを認め得る証拠はないので、これを損失額の一部に算入することはできない。

したがつて、この点の原告の請求は、価格の立場がないので、これを排斥せざるを得ない。

四、都おどり開催不能による損害(請求原因第六章二1)

(一)  証人中島勝蔵の証言(第一回)から成立の真正を認められる甲第四一ないし第四三号証、同証人の証言(第二回)から成立の真正を認められる甲第七一、第七二号証、右各証言、証人杉田亘(第一回)によれば次の事実が認められる。

周知の如く京都における大きな催事の一つである都おどりは、明治年間以来、祗園新地甲部お茶屋組合と祗園新地甲部芸妓組合とで構成する祗園甲部歌舞会が主催して毎年四月頃三〇日間(現在は四五ないし四八日ずつ)歌舞練場において開催し、その売上から歌舞練場の借賃を財団法人(現在は学校法人)に支払い、出演芸妓に対する出演料その他諸経費を差引いて得た純益を右両組合が折半して取得し、しかも組合はその利益をそのまゝ法人に寄附する慣例であつて、要するに都おどりによる利益は借賃及び寄附の形ですべて財団法人ないし学校法人に帰属するものである。戦前においては一日四、五回興行し、約一、二〇〇人を収容する歌舞練場がほとんど常に満員になる状況であり、収入としては入場料(三等級に分れるが、無料の招待客が約二割、団体客で五分引きのものが有料入場者の約三割、芸者に一割引きで割当てゝ売捌かせるのが約一割ある)、番組の売上、売店を出させることによる権利金、広告料、放送料等があり、一方経費としては前記芸者の出演料のほか、大道具製作費用、衣裳料、宣伝費、電力照明費、臨時雇の日当、税金その他の雑費があつて、結局税金等を差引いた純収益は全収入の約二割ないし三割に及ぶものであつた。

しかし戦時中約三年は都おどりを中止し、戦後は歌舞練場を進駐軍用娯楽施設として提供してその公演の場所を失つたから、昭和二一年から昭和二四年まではこれを開催せず、昭和二五年ないし昭和二七年は松竹株式会社経営の南座を借り受けて興行した。しかし都おどりと同様に京都芸能界の大きな年中行事の一つである先斗町歌舞会の主催する鴨川おどりは昭和二一年五月に、南座における顔見世興行は昭和二〇年一二月一日からそれぞれ開催されて盛況であつたので、公演の場所即ち歌舞練場さえ使用できれば昭和二一年四月から都おどりを興行することは可能な状況にあつた。このような事実が認められる。

本件歌舞練場の提供の結果都おどりを開催し得ず又は他の場所を賃借等して開催したとすれば、それによつて祗園の蒙つた損失又は得べかりし利益の喪失は京都府知事らの要請と因果関係があることはいうまでもないところであり、仮にこれが通常生ずべき損害ではないとしても都おどりが著名な催物であることと証人三好重夫の証言によれば、三好知事は、祗園が歌舞練場を提供すればこゝにおいて都おどりを開催し得ず、ために損失を蒙るであろうことを予見していたものと推認されるから、被告はこの損失について原告に対し補償の義務を負わなくてはならないものである。なお、被告は、祗園が吉本との契約により開催可能な場合にも吉本が都おどりを開催することを認め、自らはその権利を放棄していることを理由に被告の義務を否定するが、右契約の有無にかゝわらず、提供の当時から都おどりの開催が絶望視されていたことは弁論の趣旨によつても明らかであり、事実歌舞練場においてはその開催が不可能であつたのであるから、被告の補償義務に影響を及ぼすものではない。

なお、本件キャバレー「グランド京都」につき昭和二四年四月から日本人の入場が許可されていたことは前述のとおりであるが、原告は既にその当時から吉本に歌舞練場の返還を請求する訴訟を提起して占有回復に努力し、その結果昭和二七年一月にようやく現実に占有を回復し、復元工事の結果昭和二八年四月から、これを使用し得るに至つたのであるから、その期間都おどりを開催し得ないことによる損失は被告の補償義務の範囲内のものである。

(二)  昭和二一年ないし昭和二四年度の損害

鑑定人原幸一の鑑定の結果は、右(一)の認定事実に照して信用するに足るものと認められる。そして右鑑定の結果によれば、祗園は、歌舞練場において昭和二一年から昭和二四年まで毎年三〇日間ずつ都おどりを開催したとすれば、原告主張のとおり

昭和二一年度   八九九、二五〇円

昭和二二年度 二、六一六、七五〇円

昭和二三年度 五、二四五、五〇〇円

昭和二四年度 八、六二五、五〇〇円

の純利益を得べかりしものと推認される。

ところで原告は右の金額に対しその後のインフレーションによる物価騰貴の倍率を乗じた金額を請求する。一般に、一たび発生した金銭債権は、特別の立法措置のない限り貨幣価値の変動により当然にその額面を修正されるものではないが、本件の損失補償請求権は正義公平の理念か、ら社会通念上損失と認められるものを賠償せしめるものであり、要するに実質的な価値の賠償填補をはかるものであるから、このような請求権については、観念上の債権の発生後において口頭弁論終結時までインフレーションによる貨幣価値の変動がある場合は、価値の実質を維持するため当然これを顧慮することが衡平の理念に合し、権利の社会的目的を達成せしめる途と考える。そして本件の京都府知事らの祗園に対する歌舞練場提供の要請のあつた昭和二〇年九月当時は終戦直後のことではあるが、既にその後の大巾なインフレーションの昂進を予測し得べき経済的社会的情勢にあつたことは否定し難いところであり、被告国はこの傾向を少くとも予見し得べかりしものであつたことはいうまでもない。そして成立に争いのない甲第七六号証によれば、日銀卸売物価指数は昭和九年ないし一一年平均を一〇〇とした場合、原告主張どおり、昭和二一年一、六二七、一、同二二年四、八一五、二、同二三年一二七九二、六、同二四年二〇、八七六、四、同三三年三四、四八二、九である(なお歌舞練場が返還された昭和二七、二八年当時の指数は昭和三三年度のそれを超えている)ことが認められるので、被告は衡平上原告主張の右損失に対し右物価騰貴の事情を考慮して増額した金額を賠償すべきである。もつとも物価騰貴の率までは容易に予見し難かつたものというほかはないから、敍上のような諸般の事情を考慮する、とき、被告の補償すべき金額は、原告主張のとおり昭和三三年当時までの物価騰貴率の二分の一を前記損失額に乗じたものをもつて、相当と認められるので、これにより前記昭和二一年ないし二三年の各損失に当該年度の物価指数と昭和三三年度のそれとの比の二分の一を乗じて(但し昭和二四年は物価指数が昭和三三年度の二分の一を超えているので乗じない)計算すると、その金額は原告の主張と一部異り

昭和二一年度 九、五二八、八三八円

昭和二二年度 九、三六九、六一三円

昭和二三年度 七、〇六九、七一四円

昭和二四年度 八、六二五、五〇〇円

合計  三四、五九三、六六五円

となる。

(三)  昭和二五年ないし昭和二七年度の損害昭和二五年から昭和二七年まで祗園は松竹株式会社から南座を借受けて都おどりを行つたことは前述のとおりである。

(1)  昭和二五年度については、前掲甲第四一号証、証人中島勝蔵の証言(第一回)によれば、同年四月一日から三〇日まで開催し、その間一日一〇〇、〇〇〇円の割合で合計三、〇〇〇、〇〇〇円を南座の借賃として支払い、なお松竹は劇場人件費、電力及び照明費用、宣伝費、装飾費等を支弁するが、これに対し祗園は別に興業収入の一割五分を附帯経費として吉本に支払うほか、番組、売店等の収入を松竹において取得することとしたので、これら一切を祗園が単独で行つた場合に比しむしろ利益を失うものであり、従つて少くとも右三、〇〇〇、〇〇〇円の賃料は損失といえるものであることが認められる。

(2)  昭和二六年度及び昭和二七年度についてみるに、前掲甲第四二、第四三号証、証人中島勝蔵(第一、二回)、同杉田亘(第一回)の各証言によれば、それぞれ四月一日から四〇日間開催し、収益については総売上より入場税、大道具費用、臨時の照明、宣伝費等の経費を差引いたものの内から、六割を祗園、四割を松竹が取得することを定め、これにより松竹が取得した金額は昭和二六年三、三四七、八〇二円、昭和二七年一、六六六、〇〇〇円であつたこと、南座と歌舞練場の実収容人員はほぼ同数であるから歌舞練場において興行したとしても同額の売上を期待し得ることが認められる。そして原告は、右のような収益の分配方法は昭和二五年の如く一日一〇〇、〇〇〇円の賃料を支払うよりも遙かに松竹側に有利であり、それだけ祗園の損失となる旨主張するが、このような事実を認めるに足る証拠はなく、かえつて右証人中島の証言(第一回)によれば二五年度より祗園にとつてやゝ有利であるというのであるから、右主張は採用し得ない。

売店の売上もしくはその権利金を松竹が取得することは、この点に関する約定が何ら契約書にないことから窺い得ないではないが、番組の売上については、二六年度については確証はなく、二七年度契約書(甲第四三号証)別紙覚書中に番附の発行等については祗園が一切の責任を負うが、南座内での販売は松竹の責任とし、祗園から松竹へ販売手数料として売価の二割五分を支払う旨定められていて、証人中島の証言(第二回)によれば番組の売上はそのほとんど全額が利益となることが認められるので、番組によつて祗園の得た利益もあることが窺われる。一方契約書中(両年度とも)には劇場の人件費、通常の電力、照明費、宣伝費(二六年度のみ)等経常費的なものは松竹において負担することが定められており、これらは祗園が単独で開催した場合にも要すべき費用であるから、松竹が取得した金額の全部が祗園の損失となるものとは断定し難く、いずれにせよ松竹が現実に取得したこれら収益の額を確認し得る証拠はない。(因みに、前掲鑑定の結果によれば売店権利金、番附売上、売店売上の総計は昭和二六年度一、一三二、六七〇円、昭和二七年度一、〇一四、五一二円であり、これを前記松竹の取得額に合算しても総計約七、一六〇、〇〇〇円であつて、原告主張の金額に及ばない。)

従つて祗園の損失は、前記収益の四割として松竹に支払つた金額と認めるほかはなく、昭和二六、二七年度の合計は五、〇一三、八〇二円、前記(1) の昭和二五年度を合算すると八、〇一三、八〇二円である。

(四)  従つて都おどり開催不能による損害の合計は四二、六〇七、四六七円である。

五、調達中建物の使用不能となつたことによる損害(請求原因第六章二5)

(一)  前述のように祗園は歌舞練場を提供したがその対価を受領しなかつたのであり、提供の期間これを使用し得ないことにより賃料相当額の損害を蒙つたものといえる。そして前記四、(一)末段に述べた如くその損害はキャバレーグランド京都の軍専用解除後も現実に返還を受けるまでは継続しているものというべきである。なお、原告は狭義の歌舞練場につき昭和二八年三月分まで賃料相当額を請求しており、その趣旨は昭和二七年一月吉本から返還を受けた後も復元工事を完了するまでは現実に使用し得なかつたことにより同様の損害を蒙つたことを主張するものと解されるが、このように歌舞練場をキャバレーに使用するために提供した結果提供終了後本来の目的に使用するためには復元工事を必要とする場合、工事終了まで使用し得ないことによる損害はやはり被告の要請による提供の結果通常生ずべき又は予見し得べかりし損害といい得るので、原告主張日時までの損失を補償すべきである。

また前述のように八坂クラブはダンサーその他吉本の従業員の宿泊に使用したものであるからキャバレー経営の目的に使用されたものであるし、弥栄会館は当初軍専用映画館を経営する目的で歌舞練場と共に吉本に引渡したのであるから、いずれもこれについての損失は国の補償すべき範囲に属するものといわければならない。

(二)  そこで損害の数額について検討するに、この点についての鑑定人吉富正雄、同寺井幸夫の各鑑定の結果を比較すると、両者は、賃料相当額算定の基礎として採用する土地及び建物の価格の評価、各建物に附属する土地の範囲の認定、利潤(資本利子)、管理費、修繕費、火災保険料、原価償却費等の算出率についての見解等に若干の相異があるが、算出に当り斟酌する事項の範囲、算出の方法の大綱を同じくし、結論の賃料相当額は、年度別建物別に相互に高低する部分があつて、いずれも優劣を断じ難く、要するに両鑑定ともその算定方法は経験則に照し合理的なものと認めるに足りる。

そこでここでは鑑定人吉富正雄の鑑定の結果を採用することとし、以下これに従つて検討する。

(1)  別紙第二目録記載の建物(狭義の歌舞練場)

右鑑定人吉富の鑑定の結果によれば、この建物に対する昭和二〇年一〇月から昭和二八年三月まで(但し前記四で認定した都おどりを開催した又は開催すべかりし期間を除く)の賃料相当額は請求原因第六章二5(イ)(A)第一表記載のとおりであることが認められる。

しかしこの損失も前記四、(二)記載のところと同様にインフレーションによる貨幣価値の変動に応じ修正された額をもつて補償されるのが相当であり、修正に当つては原告主張のように六大都市市街地価格と木造建築費の指数によることが合理的と思われる。そこで成立に争いのない甲第七七号証の一、二によれば、右各指数は原告主張のとおりであることが認められ、これに基ずき昭和三四年度の指数を一〇、〇〇〇として換算すると、六大都市市街地価格は請求原因第六章二5(イ)(B)第二表のとおり(但し昭和二七年度は一七〇七。原告主張の一六八二は誤算と思われる)、全国木造建築費指数は同(C)第三表のとおりとなり、両者の算術平均は同(D)第四表のとおり(但し昭和二七年度は四、二一九)となるので、右金額に原告主張の方式により当該年度と昭和三四年度との指数の比の二分の一を乗ずると(昭和二八年度は換算せず)昭和二七年度のみ原告主張と異り

昭和二〇年  三、八四六、一五三円

〃二一年  七、一八九、五四二円

〃二二年  三、五八一、三九五円

〃二三年  四、〇九四、二九二円

〃二四年  四、四三七、四七一円

〃二五年  六、五九八、九八四円

〃二六年  四、八三三、三三二円

〃二七年  四、六七七、二五二円

〃二八年  一、一一〇、〇〇〇円

合計  四〇、三六八、四二一円

となる。

(2)  別紙第三目録記載の建物(八坂クラプ)

右鑑定の結果によれば八坂クラブに対する返還まで(返還は昭和二二年中と認定されるので、同年六月までとするのが相当である)の賃料相当額は、請求原因第六章二、5、(ロ)記載のとおりと認められるので、これに右と同様の方法により右第四表による価格騰貴率の二分の一を乗ずると、原告主張どおり合計五、七三五、三八九円となる。

(3)  別紙第四目録記載の建物(弥栄会館)

右鑑定の結果により弥栄会館に対する返還の日までの賃料相当額は原告主張請求原因第六章二5(ハ)(A)記載のとおりであることが認められるが、冒頭認定のとおり祗園が提供したのは全体の延坪二、〇一二坪九合六勺の内二七七坪四八五を除いた一、七三五坪四七五であるから、提供部分に対する賃料額を坪数の比により算出すると(円未満切捨 )

昭和二〇年    三八七、九六七円

〃二一年  一、五五一、八七〇円

〃二二年  一、九六五、七〇二円

〃二三年  三、五一七、五七二円

〃二四年  五、三七九、八一六円

〃二五年  七、八六二、八〇八円

〃二六年  八、七九三、九三〇円

〃二七年    七三二、八二七円

となり、これを右1と同様にして第四表による倍率の二分の一によつて修正すれば(円未満切捨)

昭和二〇年 一二、四三四、八三九円

〃二一年 二五、三五七、三五四円

〃二二年 一一、四二八、五〇〇円

〃二三年 一〇、九一〇、五八三円

〃二四年 一二、〇五六、九六一円

〃二五年 一八、一四二、一五〇円

〃二六年 一三、七四〇、五一五円

〃二七年    八六八、四八四円

合計 一〇四、九三九、三八六円

となる。

(4)  右(1) (2) (3) の合計一五一、〇四三、一九六円が賃料相当額損害金として被告に対し請求し得べき金額である。

六、借金の利子の一部(請求原因第六章二6)

この点の原告の主張は要するに前記一の調停金及びこの復元工事費用の支払のため他から金借し、それに対して支払つた利子は本件提供の結果蒙つた損害であるというのである。しかしながら右調停金及び工事費用に対する補償義務が速かに履行されていれば金借及びその後長期に亘る利子の支払を必要としなかつたものであることは明らかであり、被告が補償すべき金員を適当な時機に支払わなかつたためにその必要を生じたものと考えられるので、この損失は被告の債務の履行遅滞の結果蒙つた損害というべきである。(逆に仮にその履行期が到来していないとすれば、その到来前に債権者の必要により他から金員を借受け利息を支払つたからといつて、それが債務者の負担すべき損害となる理由は全くないわけである。)

そして金銭債務の履行遅滞による損害の賠償は、実損害の有無多少に拘らず常に債務の元本に対する法定利率によつて定められるものであり(民法第四一九条)例え債権者が法定利率による金額以上の損害を生じたことを証明したとしてもその賠償を請求し得ないものであつて、もとより本件においてこれと異る特約の存在は認められない。したがつて元本に対し法定利率による遅延損害金として請求するのは格別であるが、この点における原告の請求は、弁論の趣旨に照し右法定利率による損害金の請求を含む趣旨のものとは認められないので、すべて失当である。

七、以上の次第で被告の補償義務の範囲に属する原告の損害は

右一の        三〇、〇〇〇、〇〇〇円

二、(四)の     五六、二一九、八一八円

四、(四)の     四二、六〇七、四六七円

五、(二)(四)の 一五一、〇四三、一九六円

合計      二七九、八七〇、四八一円である。

第三、次に被告の消滅時効の抗弁の適否について判断する。

一、記録によつてみるに被告は昭和三五年二月六日付準備書面(同日の口頭弁論において陳述)において始めて消滅時効の抗弁を提出したが、それより前昭和三三年七月一九日当裁判所は中間判決を言渡している。

右中間判決は民事訴訟法第一八四条後段に言う「請求の原因及び数額に付き争いある場合においてその原因に付いて」したものであり、このことは記録上及びその判文上明らかであると考える。即ち裁判所は、昭和三三年三月一日の口頭弁論期日において「被告に損害補償の責任があるかどうかにつき裁判する」旨告げて弁論を終結し、右中間判決においては、原告主張事実の内損害の数額の点を除き被告の損害補償義務発生の原因として主張される事実関係を認定し、右請求権発生の法律上の理由として原告の主張するところ全部について判断した上(中間判決前に請求権の消滅に関する主張はなされなかつた)被告において京都府知事らの要請と相当因果関係にある損失につき公法上の補償義務がある旨認め、主文において「本件につき被告は原告に対し損失補償の責任がある」旨判示したのである。

したがつてこれを単に、数個の争点の内の一部をなす独立した攻撃防禦方法のみについてした中間判決と解するのは当らないというべきである。

而して右中間判決が原因及び数額について争いある場合にそのその原因についてしたいわゆる原因判決である以上、爾後審理の対象となるのは、数額の点のみであつて、裁判所も中間判決の主文に包含される限度でこれに拘束されて請求権の存在を否定することを得なくなるのであり、請求権自体の存否(発生存続消滅)に関する攻撃防禦方法を提出することは、中間判決後に新たに生じた事由に基ずくものを除くほか許されなくなるのであつて、消滅時効の抗弁といえどもその例外ではない。そして本件の被告主張はいずれも中間判決前に時効期間の経過により原告の請求権が消滅したことを主張するものであるから、その抗弁の提出は不適法なものといわなければならない。

二、本件中間判決前においては、原告の請求が数種の損害の内から内金一、〇〇〇、〇〇〇円の支払を求めることであつたことは被告所論のとおりであるが、原告は既に訴状第六章において本判決請求原因第六章二記載の六種の損害及びほか一種を掲げ、全損害につきその発生原因たる事実を明確にし、数額の大体の推算を記載し、第八章において被告はその内第六章二の1ないし5(本判決の請求原因第六章二の1ないし5と同じもの)の損害を賠償すべきであるが、損害額が判明しないので内金一、〇〇〇、〇〇〇円の限度で請求し、審理の結果をまつて請求の拡張を行う旨明記しているのであつて、第六章二の1ないし5のすべての損害を請求する意思を明らかにしているのであるから、請求を特定しないため消滅時効の抗弁を提出し得ない場合とはいゝ得ない。

もとよりこの場合形式上は一、〇〇〇、〇〇〇円についてのみ訴訟係属を生じ、その余は直接審理判断の対象とならないものではあるけれども、このように発生原因事実の一部を異にする数個の損害の内いずれを請求するかを明示せずに(かえつてその全部を請求する意思のあることを明らかにして)内金の支払を請求する場合には、これを選択的に、即ち数個の損害の内のいずれの一個又は数個からでも内金一、〇〇〇、〇〇〇円に充つるまでの支払を求めるという形で請求しているものと解すべく、従つてすべての損害につきその請求権の存否を判断しなければならない可能性を含むものであるから、被告においてその内一個又は数個の請求権の現時における存否を争うのであれば、そのすべてについて中間判決前に抗弁を提出し得、また提出すべきであつたものと考える。

三、なおこの点に関し被告は、中間判決により抗弁が遮断されるのは当時請求されていた一、〇〇〇、〇〇〇円についてのみであると主張するが、本件においては右のように数個の損害の発生原因を明確にしそのすべてを請求するものであることを明示し、たゞ数額が判明しないため一、〇〇〇、〇〇〇円として請求していたものであつて、当初から数額の明らかな数個の債権の内の一個又は一個の債権の数量的な一部についてのみ判決を求める旨明示した場合とは同一に考えることはできないばかりでなく、債権の分量的な一部を当初請求し、後にその全部に請求を拡張した場合にも、それは数額のみに関することであつて請求権の質的同一性に何ら変更はなく、請求権の全体に亘つてのその発生、存続、消滅等の原因に関する攻撃防禦方法の提出は請求数額の如何に影響されないものといわなければならない。

従つて一、〇〇〇、〇〇〇円を超える部分について中間判決後も消滅時効の抗弁を提出し得るとすれば、それは一、〇〇〇、〇〇〇円とその余の部分とで時効完成の成否を異にする場合でなければならないが、そのような事態は、本件のもとにおいては、その弁論の趣旨に照し、一、〇〇〇、〇〇〇円の支払を求める訴の提起によりその部分についてのみ時効中断の効力を生じ、その余について更に時効が進行し本訴係属中に時効が完成した場合のみが想定される。しかし被告の主張するところによれば、本件債権は既に本訴の提起の日であることが記録上明らかな昭和三二年五月一日より以前にすべて時効によつて消滅していなければならないことともなるので、右規定のようなことは有り得ないばかりでなく、仮に訴提起当時時効期間を満了していない部分があり、且つ訴提起によつては一、〇〇〇、〇〇〇円についてのみ裁判上の催告として確定的な時効中断の効力を有すると解すべきものとしても、債権額が主観的にも明らかな一個の債権の内の数量的な一部のみの支払を求める旨明示して訴が提起された場合と異り、本件においては前述のように請求原因第六章の二の1ないし5の損害のすべてを請求する意思を明らかにし、ただ数額を確定し得ないため、後に請求の拡張をなす旨述べて一、〇〇〇、〇〇〇円と表示して請求したのであるから、訴の提起は一、〇〇〇、〇〇〇円を超える部分についても少くとも裁判外の催告としての効力を有し、その催告は後に請求の拡張をなすまで継続してなされていたものと解すべきである。してみれば右提起のような場合は本件においては認められないので、被告の右主張は請求権の全体について発生した同一の消滅事由をその一部についてのみ主張するというに帰し、かかる主張は請求数額の多少に拘らず、当初から主張し得べきもので、中間判決により以後その提出は許されなくなつたものといわなければならない。

四、被告は、中間判決が被告の予想しない理由により損失補償請求権を認めたので以後において時効の抗弁を提出し得るものと主張するが、敍上のとおり原告は当初から訴状においてその主張の損害の発生原因を明らかにしているので、時効期間の起算日等は直ちにこれを定め得た筈であり、請求権発生の法律上の理由として主張するところの内第八章記載(ロ)徴発調達の法理(ハ)スキャップインA七七はそれによつて直ちに損害補償請求権を発生せしめるとすれば公法上の金銭債権となるものと解される余地があるのであつて、会計法第三〇条の適用を考えられなかつたわけではないものと思われるので、右主張も理由がない。

五、以上の次第で、消滅時効に関する被告の主張は実体について判断するまでもなく失当といわなければならない。

第四、よつて、被告は原告に対し第二、七記載合計二七九、八七〇、四八一円を支払う義務がある。

昭和二九年二月四日京都八坂女子技芸専修学校理事長代理人中村豊一の名で大阪調達局長に宛て、本件復旧工事費用、吉本に支払つた三〇、〇〇〇、〇〇〇円、都おどりに使用できなかつた損害、適正賃料相当額等につき補償を求める申立書が提出されたことは当事者間に争いがなく、証人中島勝蔵の証言(第一回)から成立の真正を認められる甲第五号証の一ないし七、成立に争いのない甲第六号証及び右証言によれば、右京都八坂女子技芸専修学校は、学校法人である原告の主たる事業目的としで経営する学校であることが認められるので、右申立は、原告からなされたものと認めることができ、原告から被告に対する本件債権の支払を求める催告としての効力を有するものであつて、被告はこのときからその債務につき遅滞に陥つたものといえる。

そこで原告の本訴請求中二七九、八七〇、四八一円及びこれに対する右遅滞後の昭和二九年三月一日から完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分を認容し、その余は失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、をそれぞれ適用し、仮執行の宣言はこれを付さないのを適当と認めて原告の申立を却下することとして主文のとおり判決する。

(裁判官 西川美数 佐藤恒雄 野田宏)

第一目録

京都市東山区祗園町南側五七〇番地の二

一、宅地 四〇七四坪八合七勺

第二目録(通称歌舞練場-延坪八四四坪余)

二四一三(一八七)

京都市東山区祗園町南側五七〇番地の二

家屋番号 同町七部の六五番

一、木造瓦葺平家建劇場 三一四坪

附属

同上二階建休憩室 一六二坪六合二勺

外二階坪 一三〇坪七合四勺

同上平家建便所   一三坪一合三勺

同上二階建劇場  二八三坪八合八勺

外二階坪  四〇坪八勺

第三目録(通称八坂クラブ-延坪四六三坪)

京都市東山区祗園町南側五七〇番地の二

家屋番号 同町七部の六四番

一、木造瓦葺二階建店舗 建坪 一八五坪一合

外二階坪    一六一坪二合

一、木造瓦葺平家建店舗 建坪 二二坪五合

一、木造瓦葺平家便所  建坪  九坪

一、木骨造瓦葺二階建物置   一八坪九合

外二階坪    一八坪九合

一、土蔵造瓦葺平家建倉庫    九坪四合

一、木造瓦葺平家建居宅 建坪 三八坪

第四目録(通称弥栄会館-延坪二、〇一二坪余)

京都市東山区祗園町南側五七〇番地の二

家屋番号 同町七部の六六番

一、鉄骨鉄筋コンクリート造陸屋根地下一階附五階建劇場

一階坪 三九三坪七合六勺

二階坪 三四八坪二合二勺

三階坪 三七八坪九合

四階坪 二二一坪五合

五階坪 一二五坪四合

地階坪 四六四坪五合八勺

附属

鉄骨鉄筋コンクリート造陸屋根地下一階附二階建物置

一階坪 六三坪四合

二階坪  五坪

地階坪 一二坪二合

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